ElevenLabs CROが語るAIセールス組織の未来:20倍ノルマの真実と成長戦略の再構築
AI技術がビジネスのあらゆる側面を再定義する現代において、セールスと収益成長の領域もまた、劇的な変革の渦中にあります。その最前線で、驚異的な成長を遂げるElevenLabsのCRO(最高収益責任者)であるCarles Raina氏は、従来の常識を打ち破る独自の戦略と哲学を実践しています。彼は、AIを活用した「人間的な」セールスアプローチ、常識外れの販売ノルマ、そして未来を見据えた大胆な市場開拓について語り、私たちにAI時代のビジネス成長の羅針盤を示します。
本記事では、Carles Raina氏の深い洞察を基に、ElevenLabsがどのようにしてAIセールス組織を構築し、持続的な成長を実現しているのかを詳細に分析します。その重要性、具体的な機能、ビジネスへの影響、そして将来性について、専門性と分かりやすさを両立させながら解説していきます。
AIファースト時代のセールス戦略の再定義:旧来の常識を覆すCROの役割
Carles Raina氏は、AI時代におけるCROの役割が根本的に変化したと語ります。旧来のCROが「今日の売上」に焦点を当てるのに対し、新しいCROは「明日の売上」を思考の中心に据えるべきだというのが彼の主張です。これは単なる売上目標の達成に留まらず、市場の急速な変化を先読みし、既成概念に囚われない戦略的思考と実行力を意味します。Raina氏の「誰もやっていないことをやる」という言葉は、まさにこの新しいCROの姿勢を象徴しています。
この新しいアプローチの根底にあるのは、「より少ないリソースでより多くを達成する」という原則です。彼は、AIをセールスプロセス全体に深く組み込むことで、効率を最大化し、リソースの最適化を図ることを目指します。しかし、これは安易なAIツールの導入を意味するものではありません。Raina氏は、市場に溢れる多くのAI営業ツールが「トランザクション(取引)」を重視しすぎている点を厳しく批判しています。顧客との人間的な関係性や個別のニーズを無視し、一律にメッセージを送りつけるようなアプローチでは、今日の高度にパーソナライズされた市場では通用しないと断言します。「アウトバウンドは死んだ。人間的に行うか、人間が行うのでない限り」という彼の言葉は、この思想を端的に表しています。
人間的なAIエージェントの構築:ElevenLabsの実践例
ElevenLabsは、AIを単なる効率化ツールとしてではなく、人間の能力を拡張し、より質の高い顧客体験を提供する「ヒューマン・イン・ザ・ループ(Human-in-the-loop)」のアプローチで活用しています。彼らが構築したAIエージェントの具体的な活用例は以下の通りです。
- AI SDR(Sales Development Representative): インバウンドのリード(見込み顧客)処理に特化しています。従来の自動応答システムとは異なり、AI SDRは人間的なニュアンスで対話し、リードの初期エンゲージメントを効率的に高めます。これにより、営業担当者はより質の高いリードに集中できます。
- AI提案マネージャー: ウェブ上からRFP(提案依頼書)やRFI(情報提供依頼書)などの情報をスキャンし、案件のスコアリングや提案書作成の補助を行います。これは、膨大な情報の中から関連性の高いデータを見つけ出し、営業担当者が戦略的な提案内容の検討に集中できる時間を創出します。
- AIカスタマーサクセス・マネージャー: 顧客のあらゆるデータ(過去の契約内容、価格体系、製品利用履歴など)を分析し、パーソナライズされたメールのドラフトを自動生成します。このドラフトは、カスタマーサクセス担当者が最終的にレビュー・修正し、顧客に送信されます。AIが生成したメッセージと人間が修正したメッセージ、そして顧客からの返信を継続的に学習させることで、メッセージの精度と顧客体験のパーソナライゼーションが飛躍的に向上します。これにより、各顧客は個別のニーズに合わせたメッセージを異なるトーンや言語で受け取ることができ、結果としてアップセルやクロスセル、さらには新規契約の締結に繋がっています。
これらのAIエージェントは、完全に自動化するのではなく、人間の判断力や創造性と組み合わせることで、最大の効果を発揮します。AIがデータの分析やルーティン作業を担い、人間が共感や戦略的な意思決定に集中するという、まさにAIと人間の「共創」の形です。
生産性向上と少数精鋭チーム:AIが変える組織構造
Raina氏はElevenLabsにおいて「生産性50%向上」を目標に掲げています。これは、AIの活用により、より少ない人数でより高い成果を出すことを目指すものです。AIエージェントがクローズした契約に対しても、人間が獲得したものと同様にコミッションを支払うことで、チームメンバーのモチベーションを高め、トップタレントの維持・獲得を図ります。結果として、セールスチームは爆発的に規模を拡大するのではなく、少数の「極めて優秀な人材」に集中されることになります。Raina氏は、このような組織構造の変革が「業界全体に影響を与える」と確信しています。
常識を打ち破る販売ノルマと報酬体系:挑戦と公平性の哲学
ElevenLabsが設定する「20倍」という販売ノルマは、業界の常識をはるかに超えるものです。一般的な企業が6〜8倍程度のノルマを設定する中、この異例の数字は、Raina氏の深い哲学に裏打ちされています。彼は、「挑戦的でありながら公平なノルマ」の重要性を強調します。もしノルマが高すぎて達成できない場合は、企業が責任を持って調整するか、適切に補償すべきだという考えです。
この高いノルマの背景にあるのは、優秀なセールス人材の特性への深い理解です。Raina氏によれば、最高のセールスパーソンは単に金銭的報酬だけでなく、「大きな挑戦」によって強く動機付けられます。高い目標がなければ、彼らの最高のパフォーマンスは引き出されません。ノルマを100%達成したセールス担当者には、「アクセラレーター(加速報酬)」が発動され、さらに高いコミッション率が適用されます。Raina氏自身、「100万ドルのコミッション小切手」を喜んで切ると語ります。なぜなら、その担当者が企業、株主、そして全従業員のために、それ以上の価値をもたらしているからです。彼らは「100万ドルの収益が会社の評価額を300万ドル引き上げる」という認識でビジネスを推進しています。
ElevenLabsのコミッション構造の詳細
ElevenLabsの報酬体系は、短期的成果だけでなく、長期的な顧客価値創出にも焦点を当てています。
- 基本コミッション: 販売額の5%からスタートします。
- アクセラレーター: ノルマ達成後、追加の販売額に対してコミッション率が段階的に上昇します(例:1.1倍、1.2倍、1.3倍、1.5倍、2倍など)。さらに、在籍年数に応じて毎年25%の追加コミッションが上乗せされる仕組みもあります。これは、長期的なコミットメントを促すためのインセンティブです。
- 個別製品のインセンティブ(Spiffs): 特定の製品の販売を促進したい場合、一時的な追加インセンティブを設定します。ただし、Raina氏はこの制度の導入には慎重です。過度なインセンティブは、企業にとって最適な行動ではなく、「間違った行動」(例:インセンティブ目的での不適切な製品販売)を誘発する可能性があるため、そのバランスを常に考慮する必要があります。
コミッションの対象外となる契約とその理由
ElevenLabsでは、一部の契約形態に対してはコミッションを支払いません。
- パイロット契約: 試用導入のパイロット契約にはコミッションを支給しません。その理由は、パイロット契約が企業の評価額に直接的な貢献をしないためです。Raina氏は、エンジニアや研究者、オペレーション部門の従業員の株式価値が向上しないのに、なぜセールス担当者だけに報酬を支払うのか、という公平性の観点からこの方針を採っています。目標は、顧客がメトリクス(指標)を確認し、十分に価値を納得した上で、年間契約や複数年契約に署名してもらうことです。
長期的な顧客価値への報酬
ElevenLabsの報酬体系は、新規契約獲得だけでなく、その後の顧客関係構築と価値拡大にも強くインセンティブを与えます。
- リテンションとエクスパンション: コミッションは、新規契約だけでなく、その後の12ヶ月間の契約拡大(アップセル、クロスセル)にも適用されます。これにより、セールス担当者は短期的な契約獲得だけでなく、長期的な顧客関係の構築と価値最大化にコミットするようになります。
- 戦略的アカウント: 特定の市場における上位20〜30社の戦略的アカウントについては、コミッション期間が2年間(状況に応じて変更可能)に設定されます。これは、これらのアカウントが持つ長期的な潜在的価値と、獲得・維持に要する労力を考慮したものです。
Raina氏は、「ハンター(新規顧客開拓担当)」と「ファーマー(既存顧客維持・拡大担当)」の役割についても言及します。新規顧客開拓に特化したハンターは非常に重要ですが、適切に管理されなければ、組織全体にダメージを与える可能性があると指摘します。特に、大規模な持ち株会社のような複雑な顧客に対して、各子会社にバラバラにアプローチすると、価格の不一致や価値提案の食い違いが生じ、契約更新時に問題となることがあります。そのため、ハンターはカスタマーサクセスチームと密接に連携し、顧客全体の利益を最大化するという視点を持つ必要があります。
カスタマーサクセスの「マネー生成機能」としての役割:AI時代のCSの変革
Carles Raina氏の提唱するカスタマーサクセス(CS)の概念は、従来の業界の常識を大きく覆すものです。彼は、CSを単なる「顧客満足度や幸福感を高める機能」ではなく、「ビジネスのための収益生成機能」と明確に位置付けています。これは、顧客の利益に貢献すると同時に、ビジネスの成長、拡大、クロスセルを促進するためのインセンティブを持つべきだという考えに基づいています。
Raina氏は、SnowflakeのChris Dagnon氏がCSを専門サービスとして有償化し、それ以外を「ごみ」と切り捨てる旧来のアプローチに対して異を唱えます。彼によれば、Snowflakeが成長した時代とは市場環境が根本的に異なっているからです。AIの登場により、競合製品はわずか数日で立ち上げ可能となり、市場はかつてないほど競争が激化しています。このような環境では、顧客との関係を早期かつ深く構築し、契約を迅速に締結するだけでなく、その後の長期的な顧客保持と拡大が不可欠となります。
CSが単なるサービスビジネスとなり、あらゆるサービスに料金を課すようになれば、顧客は企業を「取引」の相手としてしか見なくなる可能性があります。結果として、コミュニティ意識や信頼関係が損なわれ、長期的な関係構築が難しくなります。Raina氏は、CSチームがコミュニティ構築と信頼醸成、そして長期的な成長の両方を促進するインセンティブを持つべきだと主張します。プロフェッショナルサービスへの課金は一部のケースで有効ですが、すべてのケースで適切ではありません。AI時代において、CSは顧客の成功を最大化し、それを通じて自社の収益を最大化する、より戦略的な役割を担うべきだと彼は考えています。
市場拡大戦略:旧来のVCアドバイスへの挑戦とベテラン人材の活用
Raina氏は、従来のベンチャーキャピタル(VC)が提唱する「一つの市場を深く掘り下げてから次に移る」という市場開拓戦略に異を唱えます。AI時代の超高速な競争環境では、競合が瞬時に現れるため、このアプローチはもはや通用しないと彼は指摘します。彼の見解では、複数の市場に同時に、かつ並行してアプローチし、「多角的投資(multiple bets)」を行うべきだというものです。
この戦略は、PLG(プロダクト・レッド・グロース)モデルだけでなく、エンタープライズ領域でも可能だと彼は主張します。一般的な考えでは、エンタープライズセールスではSDR(Sales Development Representative)、AE(Account Executive)、CS(Customer Success)など、各市場に専門チームを配置する必要があるため、複数市場の同時展開は難しいとされがちです。しかし、Raina氏はこの考えを否定し、その解決策の一つとして「ベテランセールス人材の活用」を挙げます。
彼は、多くのテクノロジースタートアップが「カルチャーフィットしない」という理由で、20〜25年の経験を持つベテラン人材の採用をためらうことに批判的です。これは「全くの間違いだ」と彼は断言します。長年の経験を持つセールスパーソンは、特定の業界(例:金融サービス)に深い知識と広範なネットワークを持っており、入社後すぐにCレベルの意思決定者とのパイプを築き、セールスサイクルを劇的に短縮できます。Googleの初期における創業者のSergey BrinとLarry Page、そして経験豊富なCEO Eric Schmidtの組み合わせのように、若くてハングリーなチームと経験豊富なベテランが協力することで、「魔法」が生まれる可能性があると彼は指摘します。重要なのは、両者が同じ「脳波」を持ち、協力して成功を追求できる適切な人材を採用することです。
ElevenLabsの成長と未来への投資:今日の売上と明日の売上
ElevenLabsは驚異的な成長を遂げていますが、Carles Raina氏は自社の製品が「簡単に売れるわけではない」と強調します。OpenAIのような強力なブランド力があれば話は別ですが、たとえ20倍の販売ノルマを設定し、並外れて優秀なチームを持っていたとしても、それが製品の売りやすさを意味するわけではないというのです。彼は自社のセールスチームが「他のどの市場のチームよりも4倍優れている」と断言し、彼らを「戦場に連れて行きたい」とまで表現します。この自信の源は、チームが高い目標に挑戦し、常に経営陣に困難なフィードバックを与え、現状を問い直す「グラウンド・トゥルース(Ground Truth)」を追求するElevenLabsの文化にあります。
Raina氏にとって、CROの役割は「今日の売上」だけでなく、「明日の売上」を考えることにあると語ります。現在の好調な業績に安住せず、常に未来への投資と創造的な戦略立案に時間を費やします。
未来への投資:政府機関との連携
具体的な「未来への投資」の例として、ElevenLabsが手がける「政府機関との連携」を挙げます。これは、短期的には収益性が低く、セールスサイクルも長い困難な分野です。しかし、Raina氏がこの分野に投資する理由は以下の3点にあります。
- 高い顧客スティッキネス(定着性): 一度導入されれば、長期的な関係が築けるため、将来的な収益の安定性が期待できます。
- 社会的貢献: AIエージェントが政府サービスにおける市民とのインタラクションを改善し、社会に大きな利益をもたらす可能性を秘めているため、企業の社会的価値を高めます。
- 参入障壁の高さ: 参入が非常に困難であるため、一度足場を築けば、その後の競争優位性が確立され、競合他社が容易に追随できない領域となります。
Raina氏は、このような「困難な分野への賭け(bets)」が、長期的なポートフォリオ戦略の一部であると考えています。VC投資と同様に、多くの実験を行い、その中から成功するものを見つけるというアプローチです。
失敗から学ぶ:戦略転換の重要性
過去の失敗例もオープンに語られます。ElevenLabsは当初、「メディア・エンターテイメント」業界に深く参入しようと試みましたが、期待通りの成長が得られませんでした。その理由として、この業界が世間の意見やイベントに強く左右され、新しいテクノロジーの受容に時間がかかるという現実があったとRaina氏は分析します。この失敗から学び、同社は「メディア制作プラットフォーム」にターゲットを変更し、後に「AIエージェント」という次世代のビジョンに賭けました。結果として、AIエージェントはElevenLabsにとって「驚異的な成功」を収めています。この経験は、市場の状況を深く理解し、必要であれば戦略を大胆に転換する柔軟性の重要性を示しています。
イノベーションと競合との共存:トップライン成長への挑戦
Carles Raina氏は、企業の焦点が「ボトムライン最適化(コスト削減)」から「トップライン成長(新規収益創出)」へとシフトする重要性を説きます。多くの企業がAIを導入する際、最初に考えるのはカスタマーサポートの自動化や効率化によるコスト削減です。Raina氏もElevenLabsがこの分野で大きな成功を収めていることを認めながらも、これは「退屈だ」と表現します。
彼が真に情熱を傾けるのは、「ElevenLabs Labs」という構想です。これは、企業とElevenLabsがパートナーシップを組み、コンサルタントとして彼らが新しいAIエージェントを構築し、それを通じて「新たな収益機会を創出する」ことを目指すものです。例えば、航空会社と提携し、パーソナライズされた旅行アドバイスを提供するAIボイスエージェントを開発することで、顧客エンゲージメントを高め、結果的に新たな収益を生み出すようなイメージです。これは、既存製品の販売とは異なり、より複雑で「誰もやっていないこと」に挑戦する姿勢を反映しています。彼は、スタートアップとVCは「難しいことをやる」ために存在すると信じています。
カスタマーサポート市場の考察とElevenLabsの立ち位置
Raina氏は、カスタマーサポート市場そのものが「投資対象ではない(uninvestable)」と考えています。なぜなら、すでに多くの大手企業やスタートアップがひしめき合い、激しい競争が繰り広げられているからです。しかし、ElevenLabs自身はカスタマーサポート分野で莫大な収益を上げており、顧客のROI(投資収益率)は「正気の沙汰ではない」ほど高いと語ります。
これは、ElevenLabsが「すべてを動かす基盤技術」を提供しているからに他なりません。彼らは、SierraやDakonといった競合他社も含め、業界の多くのプレイヤーを裏側で支える「インフラレイヤー」としての役割を担っています。これにより、ElevenLabsは自社のエージェントプラットフォームからの収益だけでなく、API(アプリケーション・プログラミング・インターフェース)を通じて広範な市場から収益を得ているのです。
競合との透明性のある共存戦略
ElevenLabsは、自社のエージェント製品をローンチする際、既存の顧客であり、かつ競合となる可能性のあるプラットフォームの創業者たちに事前に連絡し、透明性を持って「我々もこの分野に参入する」と伝えました。Raina氏は、市場が十分に大きく、複数の企業が共存できると信じています。そして、時には競合し、時には協力し合うことで、健全なエコシステムが形成されると考えています。これは、GPUを競合他社に提供しながら、自らもAI製品を開発しているNvidiaの戦略にも似ています。
AIブームと競争の認識
Raina氏は、現在のAIブームがもたらす「CIO(最高情報責任者)やCISO(最高情報セキュリティ責任者)がAI導入を急ぐ」という状況は、18〜24ヶ月で終わると予測しています。この限られた期間を最大限に活用し、積極的に事業開発とセールスを行う必要があると認識しています。セールスチームはAIエージェントの販売に強くインセンティブ付けされており、競合からの苦情があっても、自社の価値と収益を追求する姿勢を崩しません。
オープンソースモデルとの競争優位性
昨年は「オープンソースモデルがすべてを席巻し、AIボイスもコモディティ化する」という議論が活発でした。Raina氏も一時的にはその可能性を信じたものの、現在は異なる見解を持っています。オープンソースモデルは品質が向上しても、大規模な組織がそれを「運用」し、「スケーラブル」に維持するには多大な時間とリソースが必要となると指摘します。銀行のような大企業がオープンソースモデルを試みても、運用化までに数ヶ月を要し、結局ElevenLabsのような専門ベンダーに戻ってくるケースが多いというのです。ElevenLabsは、基盤モデルとエージェントの両方で、顧客が直面する運用とオーケストレーションの課題を解決することで、競合優位性を維持しています。「誰もがゼロから何でも構築できるが、時間とリソースがあるか?」という問いかけが、彼の視点を表しています。
垂直型セールスチームの導入と教訓
ElevenLabsは、特定の市場や成熟度の高い市場で垂直型セールスチーム(例:金融サービス専門、ヘルスケア専門)を導入しています。しかし、その導入には注意が必要だとRaina氏は強調します。彼は、インド市場で垂直型セールスチームを「早すぎたタイミングで」導入し、四半期の収益を低下させるという「大失敗」を経験しました。その原因は、チームが小さすぎたこと、メンバーの情熱が不足していたこと、そして大口案件のクローズに時間がかかりすぎたことです。この失敗から学び、ElevenLabsは一旦水平型アプローチに戻り、パイプラインの流動性を確保し、チームのモチベーションを維持することを優先しました。その後、市場が成熟し、適切なタイミングが来たときに、再び垂直型へと移行する計画です。この経験は、市場の特性とチームの準備状況を考慮せずに早期にセグメンテーションすると、逆効果になることを示しています。Raina氏は、ポートフォリオ構築の考え方をセールスパイプラインにも適用し、大口案件(クジラ)と高頻度でクローズできる案件(流動性)のバランスを取ることを重視しています。
グローバル展開とブランドの力:市場特性と人材戦略
ElevenLabsは現在、世界中の市場に展開していますが、初期段階では特定の地域で大きな課題に直面しました。Raina氏自身の経験として、日本語を話さずに日本市場を開拓しようとした困難を語ります。日本市場は、UiPathの例が示すように、参入が非常に難しい市場であり、英語だけでは契約を締結できない壁が存在します。同様に、ラテンアメリカでは英語を話す人口が5%未満であり、フランスではフランス語の契約法が必要となります。
この経験から、ElevenLabsは各市場の言語、文化、法的要件に合わせて、ローカライズされたチームと戦略を導入する必要性を痛感しました。これは「世界中の誰もが英語を話す」という米国中心の経験を持つセールスチームの誤った信念を正すプロセスでもありました。彼らは、まずは本社から中央集権的に案件をクローズし、一定の収益レベルに達した市場から、現地にチームを配置するという戦略を採っています。これは、現地のチームをゼロから立ち上げるリスクを最小限に抑えつつ、市場の可能性を検証するアプローチです。韓国市場のような、コンテンツ制作が盛んで国際市場を志向する地域には、特に力を入れています。
ブランドの力と企業価値
Raina氏は、「ブランドはエンタープライズセールスサイクルを劇的に短縮する」と断言します。IBMの「IBMを買ってクビになる人はいない」という言葉が象徴するように、信頼できるブランドは顧客にとって「最も安全な選択肢」となります。現在、AI業界における「ブルーチップ(優良株)」ブランドとして、OpenAI、Anthropic、Cohereの3社を挙げています。これらの企業は、製品の信頼性だけでなく、企業としての安定性や将来性において、顧客に安心感を与えています。ElevenLabsもこのようなブランドを構築し、市場における地位を確立しようとしています。特に大規模なエンタープライズ顧客に参入するには、ブランド力が不可欠であり、これは一夜にして築かれるものではありません。
企業文化と人材採用:高い期待値と少数精鋭主義
ElevenLabsのセールスチームの離職率は低いという特徴があります。これは、採用プロセスにおいて「ElevenLabsでの仕事は非常に難しい」という高い期待値を明確に伝えることで、企業文化に合わない候補者を事前にフィルタリングしているためです。Raina氏は、候補者に「膨大な時間を働き、最大限のコミットメントを期待する」と率直に伝えます。このような環境を求めるトップタレントだけが採用され、結果として少数精鋭の非常に優秀なチームが形成されます。彼は、このアプローチが規模拡大時にも維持可能だと信じています。効率的なテクノロジーの活用により、大規模なチームでなくとも高い成果が出せるからです。
成果の可視化とモチベーション
ElevenLabsでは、社内リーダーボードを通じて、全セールス担当者の売上実績(クォータ達成率、年間の進捗状況、予測など)をリアルタイムで公開しています。これにより、チーム内には健全な競争意識が生まれ、自身のパフォーマンスを常に客観視できます。Raina氏は、セールスという職種が、本質的に率直なフィードバックを受け入れ、競争を好む「外向的で、人と違うことをしたい」プロファイルの人材を引きつけると考えています。彼は、今日の多くのセールス担当者が「ソフト」になり、情熱を失っていると懸念し、ElevenLabsが求めるのは「常に勝ちたい」という強い意欲を持つ人材だとしています。彼の採用面接は20分程度で、候補者のエネルギー、鋭さ、情熱、そして企業へのリサーチ力を見極めることに重点を置いています。
パートナーシップ戦略の深化:CVC活用とエコシステム構築の要諦
ElevenLabsは、パートナーエコシステムを事業成長の重要なチャネルと位置付けています。その中でも特に注目すべきは、「戦略的パートナー」としてのコーポレートVC(CVC)の活用です。Raina氏は、多くのVCがCVCを軽視する傾向がある中で、CVCが持つ独特の価値を高く評価しています。CVCは、投資先企業が大企業(親会社)をナビゲートし、内部のチャンピオンシップを獲得するための強力な支援者となるからです。彼らは自社のビジネスを深く理解しており、投資先の成功が自社(親会社)の利益にもなるため、積極的に協力するインセンティブがあります。
ElevenLabsは、トヨタのWoven Capital、Deutsche Telekom、Telefonica、Liberty GlobalといったCVCから投資を受け、彼らを資本構成に組み入れています。この戦略の核心は、「何も無償ではない」というRaina氏の原則に基づいています。CVCに投資してもらう際、ElevenLabsは「投資額に応じて、12ヶ月または24ヶ月以内にX量の収益をもたらす」という契約を交渉します。この目標が達成されない場合、投資した株式の一部を買い戻すなどのペナルティ条項を設けることで、双方のインセンティブを強力に一致させています。これにより、CVCは投資家として金銭的リターンを追求するだけでなく、自社ビジネスにElevenLabsの技術を導入して効率化を図るという、二重のメリットを享受します。また、ElevenLabsにとっても、CVCは各業界の深い洞察(例:トヨタからは自動車業界、テレコム各社からは通信業界)を提供してくれるため、新製品開発や市場戦略に生かすことができます。
パートナーエコシステム構築の難しさ
パートナーシップは「銀の弾丸」ではないとRaina氏は指摘します。パートナーエコシステムは、短期間で収益を劇的に向上させるものではなく、確立するまでに「途方もない時間」と専用のリソースが必要だからです。パートナーの育成、トレーニング、オンボーディングには、専任のチームと強力なインセンティブが必要となります。初期段階では、Sales Qualified Opportunities (SQO) やSales Qualified Leads (SQL) の量を追跡し、パートナーが十分なボリュームとトラクションを生み出しているかを確認します。その後、安定した動きが見えてきた段階で、収益目標に移行します。Salesforceは、自社のエコシステムを通じてパートナーがSalesforceから案件を獲得し、またSalesforceへ案件を送るという、理想的なパートナーシップモデルを構築しており、Raina氏の参考にしています。
事業成長とマーケティングの視点:ブランド構築と効果的なチャネル
プロダクト・レッド・グロース(PLG)モデルでは、ユーザーは少額から利用を開始し、その後に利用規模を拡大していくことが期待されます。ElevenLabsでは、月額1,000ドルを超える利用額になると、顧客の意識が「個人利用」から「ビジネス利用」へと切り替わり、クレジットカードでの支払いを避け、企業としての高い期待を持つようになるポイントだと見極めています。この段階で、セールスチームが迅速に対応できれば、小さな契約が大きなエンタープライズ契約へと成長する可能性が高まります。
戦略的F1スポンサーシップ
ElevenLabsは、Audi Revolut F1チームのスポンサーを務めています。これは巨額の投資であり、通常は即時のデータに基づいたROIを期待しにくいものです。Raina氏はこの投資が「容易な決断ではなかった」と認めながらも、その背景には明確な戦略的思考があったと語ります。F1チーム選びにおいては、「最高のチームの二次的なブランディング」よりも、「最悪のチームのプレミアムなブランディング」を選んだと語ります。その理由は、より大きな露出と創造的な自由が得られるためです。そして、Audiを選んだ最大の理由は、その「勝利の歴史」にあります。Audiは参入したあらゆるモータースポーツ選手権で5年以内に勝利を収めてきた歴史があり、現在もエンジンから車体までゼロからF1カーを構築しています。この「困難な挑戦を通じて、テクノロジーを駆使して勝利を目指す」というAudiの姿勢は、ElevenLabs自身の企業文化と合致しており、企業ナラティブを強化する上で戦略的な選択でした。
効果的なマーケティングチャネル
Raina氏の経験から、最もROIが高いエンタープライズマーケティング活動は「役員を招いたディナーイベント」だといいます。これは、15人程度の参加者で3,000〜5,000ドル程度の費用で実施可能で、参加者が競合他社や他の有力な顧客である場合が多いです。このようなクローズドな環境では、「FOMO(Fear Of Missing Out、取り残されることへの恐れ)」が生まれ、参加者間で情報が共有されることで、新たなビジネスチャンスが生まれます。一方、コンファレンス(見本市)への出展は、ROIが低いと判断しており、今後は自社主催イベントにより注力すべきだと考えています。
自社イベントの成功とコンテンツ戦略
ElevenLabsはロンドンで「ElevenLabs Summit」という大規模な自社イベントを開催し、成功を収めました。このイベントの目的は、ヨーロッパ企業でも大規模イベントを成功させられることを証明し、業界に影響力を持つことでした。イベントのROIは「直接的な収益」だけでなく、「影響力による収益(Influence Revenue)」として測定されます。イベントコンテンツの設計においては、製品の「セールス色」を薄くし、自然な形で情報を共有することを重視します。CEOの基調講演後、ElevenLabsのテクノロジーを活用しているパートナー企業(BCG、Aturi、Connectorなど)を登壇させ、彼らが何を構築し、どのように技術を活用しているかを語らせることで、製品の価値を間接的に証明します。これは、参加者がパートナー企業から直接学び、信頼を得るための重要な戦略です。
個人的な哲学とリーダーシップ:CRO兼VCとしての視点
Carles Raina氏は、ビジネスにおける予算の制約について独自の哲学を持っています。彼にとって「予算がない」ということは問題ではありません。問題は「そのアイデアが機能することを証明できていない」ことにあると語ります。彼自身、新しいアイデアには、まず少額の予算(5万〜20万ドル程度)を投じて実験し、データに基づいてその有効性を証明するよう促します。もし結果が出れば、必要な予算はいくらでも提供されるというのです。これは、大規模な投資やチームの専念を求める前に、小規模な実験でリスクを最小限に抑えつつ、可能性を探るというVC的なアプローチです。
CROとVCの両立:時間の管理と自己の生産性の証明
Raina氏は、現役のCROとしてElevenLabsを牽引しながら、自身もBABA Venturesというファンドを運営し、RevolutやElevenLabsを含む多数の企業に投資しています。彼は、より多くのオペレーター(実業家)が投資家になるべきだと主張します。その理由は、創業者たちがオペレーター投資家からの支援を求めているからです。彼らは単なる資金だけでなく、経験豊富なオペレーターの「時間」と「知識」を価値あるものと見なします。
多忙なCROとVCを両立させることは容易ではありませんが、Raina氏は「オフィスで最も勤勉な人間」であることを自ら証明することで、両立が可能だと信じています。彼にとって、投資活動はElevenLabsでの仕事と相乗効果を生み出すものだと捉えています。
投資家としての目標と判断基準
彼の投資ファンドとしての目標は、「7社のユニコーン企業(評価額10億ドル以上の未公開企業)を生み出すこと」だといいます。これは彼にとって、投資家としての成功の明確なベンチマークです。彼は、創業初期の「スクラップさ(scrappiness)」や「クレイジーなアイデア」、そして「誰もがバックしたがらない企業」に投資することに情熱を感じています。
Raina氏の投資判断で最も重視する点の一つは、創業者の「ゴートゥーマーケット(Go-to-Market、GTM)への貪欲さ」です。彼は、優れた製品を構築する能力だけでなく、それを市場に届け、収益化するための情熱と実行意欲があるかどうかを重視します。いくら製品が素晴らしくても、GTM戦略へのコミットメントがなければ、最終的には失敗に終わるという現実を痛感しています。初期の対話で、創業者がGTMについてどのように考えているかを確認し、もし製品開発のみに集中しているようであれば、投資を見送ることもあると語ります。
失敗からの学習と再挑戦の重要性
Raina氏は、投資も事業も「間違えること」を許容します。もしある創業者が一度失敗しても、その経験から学び、次に成功する可能性を信じられるのであれば、彼は再投資を躊躇しません。人生もビジネスも完璧ではありません。困難な状況に挑戦し、失敗から学び、迅速に改善していく姿勢が重要だと彼は強調します。
ストレス解消法とリーダーシップの哲学
多忙な毎日を送るRaina氏の意外なストレス解消法は「園芸」です。植物に話しかけ、水やりをし、剪定する時間は、彼にとってエネルギーを回復させる貴重な時間となっています。
ElevenLabsのCEOであるMattyの特徴として、Raina氏は「傾聴力と決断力」を挙げます。Mattyは他者の意見を注意深く聞き、その後、たとえそれが間違いであっても迅速に決断を下します。そして、間違いを認めればすぐに修正する柔軟性も持ち合わせています。Raina氏の言葉を借りれば、CEOは「99%のことは間違ってもいいが、5%の本当に重要なことだけは正しく決断する」という姿勢で、チームに実験と失敗の自由を与えるべきだというのです。Mattyのリーダーシップは、ElevenLabsの実験的で迅速な成長文化を支えています。
未来への展望:次世代AIと人間の共創
Carles Raina氏は、今後24ヶ月間で最も楽しみにしていることとして、「次世代の基盤モデル企業」の出現を挙げています。彼は、OpenAIやAnthropic、Googleといった大手企業が、新たな基盤モデル企業を買収し、その技術を取り込んでいくという未来を予測しています。これは、AI分野におけるイノベーションのサイクルが今後も加速し続けることを示唆しています。
OpenAIとAnthropicの比較については、OpenAIの努力を認めつつも、Anthropicに軍配を上げています。OpenAIは多くの分野に手を広げすぎて「薄く引き伸ばされすぎている(spread too thin)」と感じている一方で、Anthropicはより集中したアプローチを取っていると評価しています。Raina氏自身、日常的にAnthropicのClaudeを愛用しており、個人的な用途からElevenLabsの業務、ファンドの運営まで幅広く活用しているほどです。
結論として、Carles Raina氏の言葉からは、AIがもたらすビジネスの変革期において、従来の常識にとらわれず、データと人間中心のアプローチを融合させながら、未来を見据えた大胆な戦略を実行するリーダーの姿が浮き彫りになります。彼のビジョンは、AI時代のセールス組織がいかにあるべきか、そして企業がいかにして持続的な成長を達成すべきかについての、深い洞察と具体的な指針を与えてくれるでしょう。AIと人間が共創する未来のセールス組織は、効率性だけでなく、より人間的な価値を追求することで、かつてない成功を収める可能性を秘めているのです。