Uberで失い、Lyftで掴んだ億万長者への道:GSquared創業者ラリー・アッシュブルックが語る、型破りなベンチャー投資哲学と「生産的パラノイア」の力
ベンチャーキャピタルの世界は、華やかさと成功の物語に満ち溢れています。しかし、その裏側には、時に残酷な市場の現実、そして投資家たちの孤独な戦いが横たわっています。今回、私たちはGSquaredの創業者兼マネージングパートナーであるラリー・アッシュブルック氏の型破りな投資哲学と、彼が歩んできた激動の道のりを深く掘り下げていきます。貧困から這い上がり、直感と「生産的パラノイア」を武器に巨額の富を築きながらも、時に手痛い失敗を経験し、そこから学び、進化し続ける彼の物語は、現代のテクノロジー投資家だけでなく、あらゆるビジネスパーソンにとって深い洞察と学びを与えてくれるでしょう。
彼はUberで損失を出しながら、Lyftで莫大な利益を上げました。Spotifyではアポなし訪問から始まり、最終的に同社の主要株主の一人となり、10億ドル規模のリターンをLPs(リミテッドパートナー、出資者)にもたらしました。一方で、Theranosのような詐欺案件を直感で回避し、23andMeやGetirといった投資では苦渋を味わいました。市場の狂乱期には自己の過信に陥りながらも、大胆な戦略転換でファンドを危機から救いました。彼の言葉からは、単なる投資の成功法則だけでなく、人間としての成長、リーダーシップ、そして富と幸福に対する真摯な問いかけが浮かび上がってきます。
本記事では、アッシュブルック氏のユニークな背景から始まり、彼の投資戦略の核心、「二次市場直接買い」の真髄、成功と失敗の具体的なエピソード、2020年から2021年にかけての市場の狂乱とそこからの学び、そしてAI時代における新たな投資アプローチ、さらには彼の個人的な信条や「生産的パラノイア」がどのように彼のキャリアを形成してきたのかを詳細に分析します。彼の物語を通じて、読者の皆様が現代のテクノロジー投資とビジネスにおける本質を理解し、自身の意思決定に活かせるような深い洞察を提供することを目指します。
セクション1: ゼロからの挑戦:ベンチャー投資家への道のり
ラリー・アッシュブルック氏のベンチャーキャピタル業界への参入は、一般的なエリート街道を歩む投資家とは一線を画します。彼の物語は、文字通り「無一文」から始まり、強い意志と粘り強さによって、自らの道を切り開いていくサクセスストーリーです。
貧困からの脱却と「他人の成功」からの着想
アッシュブルック氏は、ユタ州のオレンジ色のトレーラーハウスで育ちました。彼は自らを「何も持たないところから来た」と表現し、その生い立ちが彼の人生とキャリアにおける強い原動力となっています。彼には兄弟もいましたが、彼だけがスポーツの才能に恵まれ、走ること、投げることができたおかげで、貧困から抜け出す機会を得ました。この経験が、後に彼の子供たちには異なる未来を与えたいという強い願望に繋がります。
彼のキャリアの初期は、学術機関の寄付金集めのファンドレイザーでした。この仕事を通じて、彼は多くの成功した人々と出会います。彼らが皆、プライベート企業への投資(PEファンド、ベンチャーファンド、または自身の事業運営)を通じて莫大な富を築いていることに気づきました。「彼らは私と大して変わらない。私は勤勉で、それなりに賢い。もしかしたら私にもできるかもしれない」。この気づきが、彼の人生の転機となります。
ビジネススクールでの転機と「知らないことを知らない」強み
人生の後半にビジネススクールに戻ったアッシュブルック氏にとって、現在のビジネスモデルは彼の修士論文のテーマでした。2010年頃、スマートフォンが人々の生活を支配し始め、「これは非常に面白い。なぜ株を買わないんだろう?」と考えた彼は、Twitter、Uber、Spotifyといった新興企業の株式を自分のクラスメイトから買い始めました。
ここで彼のユニークなアプローチが際立ちます。当時のこれらの企業は非公開であり、一般的には個人が容易に株式を購入できるものではありませんでした。しかし、彼は「知らないことを知らない」という「無知の幸福」の状態で、単に「株を持っているなら、私に売ってくれないか?」と尋ね回ったのです。その結果、彼はアリゾナ州立大学のケリースクール・オブ・ビジネスで、わずか1ページの「拘束力のある株式購入フォーム」を作成しました。このフォームは、15年経った今でも業界内で使われていると彼は語ります。
この経験は、既存の常識や「できない」という思い込みにとらわれず、目標に向かって真っ直ぐに進む彼の気質を如実に示しています。彼は引退資金を解約し、離婚による厳しい経済状況から再婚した妻の5万ドルの貯金と合わせて、文字通り「最後の資金」をこれらの未公開株に投じました。
「他人の資金(OPM)」の力への目覚めと初のファンド設立
初期の投資、特にTwitterやジャック・マーのファミリーオフィスから購入したAlibabaの株式が成功し、彼は初めて「何かがある」と実感します。それまでの10年間でコツコツ稼いだお金とは比較にならないほどの利益を、短期間で手にしたのです。この成功が、彼に「他人の資金(OPM:Other People's Money)」の活用を促しました。彼はかつて資金調達を担当した学術機関の卒業生たちを訪ね、彼らから資本を集め始めました。
彼のファンド設立の背景には、金融危機以降、企業が上場するまでの期間が長期化しているという明確な市場の機会がありました。2010年以前は設立からIPOまで平均3年だったのが、2010年から2018年には7~8年、現在では平均15年にもなると彼は指摘します。この「プライベート市場の長期化」こそが、アッシュブルック氏のビジネスモデルの核心です。つまり、流動性を求めている株主(従業員や初期投資家)から株式を買い取り、上場または売却時に利益を得るという戦略です。
しかし、最初のファンド設立は決して容易ではありませんでした。彼は2010年から2013年までの3年間をかけて、ようやく3500万ドルの資金を集め、それを都度、投資に回していきました。これは、新しいファンドマネージャーが経験する「トラストレス問題」の典型です。彼には実績も、有名なファンドの名前もありませんでした。「ツイッターさん、ドーシーさん、私はラリー・アッシュブルックです。引退したアスリートですが、ベンチャーキャピタリストになりたいんです。ツイッターに投資させてください。ちなみにファンドサイズは…ありません。ただ20万ドル持っています。1万ドル分のツイッター株を買いたいです」。このような会話が、当時は彼にとっての現実でした。しかし、彼はこの困難な時期を乗り越え、後に「生産的パラノイア」と呼ぶ粘り強さで、一歩一歩道を切り開いていったのです。
セクション2: 黎明期の成功と「二次市場直接買い」の真髄
ラリー・アッシュブルック氏のキャリアは、2014年のAlibabaのIPOを皮切りに、まさに加速していきます。彼のユニークな「二次市場直接買い」戦略が花開き、SpotifyやLyftといった企業への投資で巨額の成功を収めていきます。
Alibaba IPOによるブレイクスルーと「トロイの木馬」戦略
2014年、Alibabaが上場すると、GSquaredの初期ファンドに大きなモメンタムが生まれました。アッシュブルック氏は、ジャック・マーのファミリーオフィスから直接Alibaba株を取得していたのです。これは偶然の出会いから生まれました。知人の紹介で、ジャック・マーの資金の一部を運用していたバリー・パーセル氏という人物と出会い、「売りたい株がある」という話を聞いたのです。
当時、彼には少数のチームしかおらず、十分なデューデリジェンス(DD)を行う資金もありませんでした。そこで彼は、インドのチームにDDをアウトソーシングするという大胆な手段に出ます。米国の人材の何分の一かのコストで、スマートなアナリストから投資委員会向けメモを作成してもらったのです。彼はこれを、Sam AltmanがDeepMindで行ったことになぞらえて説明しています。
このAlibabaの成功は、彼のビジネスモデルが機能することを証明しました。アッシュブルック氏は初期から「Go big or go home(やるなら大きく、さもなくばやめる)」という集中投資の考えを持っていました。彼の戦略は、最初に少額を投資してビジネスを理解し、その中から数社を選んで「全ての資金を投入する」というものでした。彼はこれを現在、「Land and Expand(着陸して拡大する)」と呼んでいます。初期の小口チェックは「トロイの木馬」のようなもので、それを通じて企業の内情やデータを深く理解し、確信を持った時に大幅な追加投資を行うのです。
この二次市場直接買い手としてのGSquaredは、初期のベンチャーキャピタル市場において、非常に大きなアドバンテージを持っていました。彼らが提示する価格は、プライマリー投資家が支払う価格よりも「35セント安く」設定できるほどでした。これは、他に二次市場の買い手がほとんどいなかったためであり、流動性を求める売り手にとって、アッシュブルック氏の存在は貴重だったのです。
Spotifyへのアポなし訪問と巨額投資の舞台裏
Spotifyへの投資物語は、アッシュブルック氏の粘り強さと型破りなアプローチを象徴するものです。彼の初期に採用したバークレー出身の若手社員、スペンサー・マクラウドが「Spotifyの株を買うべきだ」と提案したことから始まります。彼らは株を売却したがっている有名人を見つけ、400万ドル分の株を買うことにしました。
しかし、Spotifyの株主承認プロセスは非常に厳格でした。連絡が取れないことに苛立ったアッシュブルック氏とマクラウド氏は、アポなしでスウェーデンのストックホルムへ飛びます。11月の寒い時期、新しい赤ちゃんを連れた妻と共にAirbnbに滞在しながら、6日間粘り強く交渉を続けました。最終的に、若い弁護士のピーター・グレネリウスが彼らに同情し、ミーティングの機会を与えてくれます。彼らは、当時としてはまだ小規模なファンドがどのように価値を提供できるかを熱弁しました。
このミーティングで、彼らは想像を絶する情報を得ます。スウェーデンでは既に人口の25%がSpotifyを利用しており、さらに驚くべきことに、レコードレーベル自身がSpotifyの投資家であったことです。アッシュブルック氏はこれを「Napsterがステロイドを打ったようなものだ」と表現し、音楽業界の未来を変えるビジネスであると確信しました。
ミーティングの最後に、Spotify側は「1億5000万ドル分の株を買えるか?」と尋ねます。当時のファンドは3億ドル規模で、まだ1億2500万ドルしかクローズしていませんでした。彼は即座に「もちろん」と答え、そこから60日間の資金調達の戦いが始まります。彼らは世界中を飛び回り、必死に資金を掻き集めました。締切前日、残り900万ドルが足りないという絶体絶命の状況で、彼は主要なノルウェーの投資家からその不足分を借りるという離れ業をやってのけます。妻の「このビジネスを愛しているか?」という問いに「これほど素晴らしいビジネスは見たことがない」と答え、夫婦でその900万ドルを所有する決断をしました。
結果として、GSquaredはSpotifyのグローバルトップ10株主の一角を占めるまでになり、LPsに10億ドル規模のリターンをもたらしました。彼らのファンドの40%がSpotifyに集中投資されており、これはまさに「Go big or go home」を体現するものでした。この成功は、GSquaredのモデルに対する信頼を築き、後にSpaceX、Instacart、Impossible Foodsといった多くの企業への投資機会を開くことになります。
Uberで損失、Lyftで成功:競争市場での投資哲学
アッシュブルック氏の投資哲学は、しばしば同じ市場を狙う複数の企業に投資し、その中から勝者を見出すことにあります。配車サービス市場では、彼らはUberとLyftの両方に投資しました。しかし、彼らの結果は対照的でした。Lyftでは3倍のリターンを得て莫大な利益を上げた一方で、Uberでは5000万ドルもの損失を出したと彼は明かします。
この損失の原因は、Uberが上場した際の市場評価が、GSquaredのビジネスモデルにおいて適切ではなかったことだと彼は分析します。GSquaredのモデルは、公開市場での長期保有を前提としていないため、IPO時の価格が彼らの初期投資を下回った場合、すぐに損失に繋がります。彼はUberが現在、売上総利益に基づいて評価されており、巨大なビジネスであることは認めています。しかし、彼らはLyftのIPO前にほとんどの株式を売却し、十分な利益を確保しました。
この事例は、彼らが「群集心理(herd mentality)」から距離を置いていることを示しています。シリコンバレーでは、ある有名ファンドが買えば他の多くのファンドも追随するという傾向がありますが、GSquaredはシカゴを拠点とすることで、そうした外部の圧力から比較的自由な立場にありました。彼らは冷静に市場を分析し、目標とするリターンが得られれば躊躇なく売却するという原則を貫きました。この「合理性が部屋を去る時」を見極める能力が、彼の成功の鍵の一つとなっています。
セクション3: 2020-2021年の「狂乱」と自己認識の危機
2020年から2021年にかけての市場は、テクノロジー企業にとって前例のない狂乱の時代でした。ラリー・アッシュブルック氏もまた、この波に乗りながらも、その中に潜む危険をいち早く察知し、自らのファンドを立て直すための苦難の道のりを経験します。
「あらゆる合理性が失われた」市場と自己の過信
アッシュブルック氏は2020年から2021年の市場を「あらゆる合理性が部屋を去った」時期と表現します。公共市場のマルチプル(収益に対する企業価値の倍率)は異常な高騰を見せ、それに連動してプライベート市場の企業評価も狂気的なレベルに達しました。彼のファンドもまた、この時期に積極的に資金を投入し、「自分たちは非常に賢い」という過信に陥っていったと彼は振り返ります。
この時期、彼らはLPsのために莫大な利益を生み出し、ファンドは急速に成長しました。2018年ヴィンテージファンドは、2020年までにDPI(Distributed to Paid-In Capital:既払い資本に対する分配金比率)をほぼ1まで高めるという驚異的な実績を上げていました。Airbnb、Corsera、SpaceX、Impossible Foodsといった主要な投資先が上場または売却され、巨額のリターンをもたらしたのです。Corseraでは、GSquaredは同社が上場した際に16%もの株式を保有する最大株主となり、LPsに8億ドルのリターンを分配しました。
このような成功は、チームに「我々は最強だ」という意識を生み出しました。しかし、アッシュブルック氏はこの過信こそが、後にファンドを危機に陥れる原因となったと認めます。「私たちは自分たちのクソを信じすぎていた」と彼は率直に語ります。
Toastの株価が鳴らす「炭鉱のカナリア」
転機は、GSquaredが最大の投資先の一つとしていたToastの株価に見出されました。Toastはレストラン業界に革命をもたらし、COVID-19パンデミック中にレストランを救った素晴らしいビジネスであり、ミッチェル・グリーン氏(Lead Edge Capital創業者)と共に多額の資金を投じて成功を収めていました。しかし、ある日、アッシュブルック氏はスキーリフトの上でYahoo Financeを見て、Toastの株価が76ドルに達していることに驚愕します。「こんなに高くなるはずがない」と直感したのです。
当時、Toastは素晴らしい企業でしたが、その株価は公開企業としての実際の価値を遥かに超えていました。これは、彼にとって「炭鉱のカナリア」でした。すなわち、市場全体が過熱し、あらゆる資産が過大評価されていることを示す危険信号だったのです。
この気づきは、彼に深い危機感を抱かせました。なぜなら、COVID-19発生から2021年にかけて、彼らは9億ドルもの資金を市場に投入しており、その多くは高値で投資された可能性があったからです。「このヴィンテージに問題がある。私たちはすべてに過払いしている」と彼は悟ります。
「ファンドを守る」ための大胆なピボットと「構造化エクイティ」
アッシュブルック氏は、この危機的状況に直面し、大胆な戦略転換を決断します。彼はLPsに正直に「私たちはしくじった。方向転換が必要だ」と伝え、ファンドを守るためにもう3億ドルを追加で調達する必要があると訴えました。その結果、2020年ヴィンテージファンドは、当初の12億ドルから15億ドルに増額されました。
彼らが実行したのは、「市場が暴落し、家が火事になっている時に、現金を持って正面から駆け込む」という逆張りの戦略でした。彼らは、多くの企業が依然として高い評価額を求める一方で、市場の流動性が枯渇している状況を利用し、「構造化されたエクイティ取引(structured equity deal)」を次々と実行しました。
構造化エクイティとは、投資契約に最低内部収益率(IRR)や特定のマルチプル(倍率)といった条件を組み込むことです。例えば、「企業評価額が80億ドルであっても、投資家には年率25%のIRR、または2.5倍の利益(いずれか高い方)を保証する」といった条件です。これにより、企業評価が下落した場合でも、投資家は優先的にリターンを確保できる仕組みが作られました。多くの創業者たちは、高すぎる企業評価額を維持するために、このような「構造」を受け入れたと彼は説明します。
この時期のGSquaredの投資は、70%がプライマリー投資であり、そのうち40%に構造化された条件が付されていました。このピボットにより、彼らは下落市場の中で、よりリスクを抑えながら投資を続け、ファンドの潜在的な損失を軽減しようとしました。
「ソフトな要素」から「数字」に基づいた意思決定への回帰
この経験は、アッシュブルック氏の投資哲学にも大きな変化をもたらしました。彼は、過熱期にはベンチャーキャピタリストが陥りがちな「定性的な要素」、すなわち「自分の直感」や「誰が投資しているか」といった「ソフトな要素」に頼りすぎたと反省します。そして、GSquaredの戦略を「数字」に基づいた、より「冷徹な(cutthroat)」ものへと再調整しました。
「私のステージでは、30億ドルが25億ドルになるかどうかが重要です。もしここで間違えれば、2.5倍の純利益を5年で達成できず、再雇用されないでしょう」と彼は語ります。シードステージの投資家とは異なり、彼のファンド規模では、評価額の小さな違いが最終的なリターンに大きく影響します。
この危機を乗り越えるために、彼はチームの再編も行いました。一部のメンバーは彼の考える方向性とは合わず離れていきましたが、スペンサー・マクラウド氏との連携を強化し、意思決定のコントロールをより緊密にしました。彼は「シリコンバレーのメンタリティ、つまり『資本を分け与え、チームを作り、豪華なライフスタイルを送る』という問題に、自分自身も染まっていた」と率直に認めます。彼の真の使命は、LPsのために価値を創造し、基盤となる企業に貢献することであり、見せかけの成功や社交的な華やかさではないと再認識したのです。
セクション4: 成功と失敗から学ぶ教訓:ガードレールと「イック」感覚
ラリー・アッシュブルック氏の投資キャリアは、輝かしい成功だけでなく、手痛い失敗からも多くの教訓を得ています。彼の語る失敗事例は、投資判断における「直感」の重要性、過信がもたらす危険、そして「ガードレール」の必要性を浮き彫りにします。
Theranosの契約破棄:「直感」と「妻の助言」の力
GSquaredの投資ポートフォリオには、集中投資戦略ゆえに、数億ドル規模の大きな失敗も含まれていました。その中でも、アッシュブルック氏にとって最も記憶に残る、そして痛みを伴う教訓の一つが、Thranose(セラノス)に関するエピソードです。
GSquaredは、Theranosの株式を二次市場で非常に良い価格で取得する契約を締結しました。しかし、経営陣(エリザベス・ホームズを除く)と会談した際、「何か違和感があった」と彼は振り返ります。それが具体的な詐欺であるとは認識していなかったものの、彼の直感、いわゆる「スパイダーセンス」が危険信号を発したのです。
彼は、ビジネススクール時代に自ら作成した「1ページの拘束力のある株式購入フォーム」に基づいて契約を締結していました。その契約を破棄するリスクを負いながらも、彼は契約書を破り捨て、取引を中止する決断を下します。この行為に対し、GSquaredは訴訟を起こされそうになりましたが、彼はLPsに損失を負わせないために、個人的に数百万ドルの和解金を支払いました。当時、彼にとって決して少ない額ではありませんでしたが、結果的に世紀の詐欺事件となるTheranosへの投資を回避できたことは、計り知れない利益となりました。
このエピソードから得られた教訓は二つあります。一つは、「その紙にサインする前に、確信を持たなければならない」ということ。もう一つは、妻の助言に耳を傾けることの重要性です。彼の妻は疫学者であり、Theranosの技術(指先採血から多量のデータを取得する)は科学的に不可能だと最初から指摘していました。アッシュブルック氏はこの経験を通じて、「直感が『イック』と感じたら、すぐに止めるべきだ」という原則を確立しました。
23andMeとGetir:過信と「戦い続ける」ことの弊害
彼の最も大きな金融的損失をもたらした投資の一つが、遺伝子解析サービス企業の23andMeでした。GSquaredは2016年から2017年にかけて23andMeに投資し、同社のビジネスモデルと創業者であるアン・ウォジツキのビジョンに強く共感しました。2018年ヴィンテージファンドで2番目に大きなポジションを築き、協調投資(Co-investment)を含めると約1億ドルを投じました。
しかし、2020年から2021年のSPAC(特別買収目的会社)ブームの際、23andMeはリチャード・ブランソン氏と組んで上場しました。上場直後、株価は一時的に高騰しましたが、アッシュブルック氏は「マルチプルを追いかける」という自身の過ちにより、売却のタイミングを逸してしまいます。彼は当初、株価が7ドルの時点で売却していれば2倍のリターンが得られたはずでしたが、最終的には1億ドルの投資に対して7000万ドルの損失を出してしまいました。彼はこの失敗を「私の戦略における問題だ」と認め、自己認識のガードレールが必要だと痛感しました。
もう一つの痛ましい失敗は、デリバリーサービス企業のGetirへの投資です。GSquaredは、同社の急成長に魅力を感じ、当初は5000万ドルを投資しました。しかし、事業が困難に直面し、追加で1億ドルを投じて株式の再構築を行いました。合計2億ドルものリスクを負ったこの投資は、アッシュブルック氏にとって「人生で最悪の3年間」の一つとなりました。
Getirの失敗は、彼自身の「戦い続ける」という個人的な気質が裏目に出たケースだと彼は分析します。貧困の中で育った彼は、常に「戦い、勝ち取る」ことを強いられてきました。この気質がビジネスにおいて成功をもたらすこともありましたが、時には「既に死んでいる戦い」に固執することに繋がると彼は語ります。Getirのケースでは、事業拡大のスピードが早すぎたこと、トルコ以外の市場への無理な展開、そしてその結果としての非効率な経済モデルが問題でした。現在もGSquaredはGetirの株主であり、アッシュブルック氏はボードメンバーとして関与していますが、この投資はファンドに多大な損失を与え、次世代ファンドの資金調達にも影響を及ぼしました。彼は、この経験から「ガードレール」と「他の人の意見に耳を傾ける」ことの重要性を強く認識しました。
「ロゴが投資をする」という組織哲学
アッシュブルック氏は、成功と失敗の経験を通じて、ファームの構築における独自の哲学を築き上げました。それは「ロゴが投資をする」という考え方です。彼は、個々の従業員が自分の成功を誇り、失敗を他人に転嫁する「アトリビューション(帰属)」の文化を嫌います。
彼が目指すのは、個人に依存せず、ファームのブランドとプロセスが投資を成功させる「ロゴ」を構築することです。そうすることで、ファームは長期にわたって存続し、リーダーシップの移行にも耐えうると考えています。ジム・サイモンズのルネッサンス・テクノロジーズのように、ファーム自体が独立した成功体となることを理想としているのです。
協調投資(Co-investment)戦略の進化
協調投資は、GSquaredの戦略の重要な部分を占めていますが、ここでも教訓を得て進化を遂げています。初期のファンドでは、GSquaredが小規模だったため、投資先に十分なインパクトを与えるために、ファンド投資額の4倍もの協調投資を集めることもありました。これにより、彼らは主要な二次市場取引を行うために必要な「規模」を獲得しました。
しかし、2020年ヴィンテージファンドでは、LPsが「ヘルスケアが好きだから」「ウェルネスが好きだから」といった理由で、コアポジション以外の個別案件への協調投資を求めるようになり、GSquaredはその要望に応えてしまいました。この結果、多くのLPsが望まない損失を経験し、ファンドとLPsの関係にひずみが生じました。
この反省から、GSquaredは協調投資の原則を厳格化しました。現在では、ファンドが最も確信を持っているコアポジション(例えば、OpenAI、Anthropic、DataBricks、Wiz、Fanaticsなど)に対してのみ、LPsに追加のエクスポージャーを提供する形に限定しています。これにより、ファンドとLPsの利益が一致し、より堅牢なパートナーシップを築けるようになったのです。
セクション5: AI時代と将来への展望:新たなメガトレンドと「ヴァンパイア」「ゾンビ」企業
ラリー・アッシュブルック氏は、過去の成功と失敗の経験を糧に、常に市場の変化に目を向け、新たな機会を捉えようとしています。特に、AI時代の到来は彼の投資戦略に大きな影響を与えています。
AI投資戦略:勝者への集中と「ピック&ショベル」
アッシュブルック氏は、AI市場、特に大規模言語モデル(LLM)の分野では、「勝者」への集中投資が不可欠だと考えています。彼は、OpenAIやAnthropicのような既に規模と先行者優位を確立している企業に匹敵する新たなプレイヤーが3年以内に現れるのは非常に難しいと見ています。これらの企業は、莫大な時間と資本を必要とするため、新規参入の障壁が非常に高いからです。
彼は、もし可能ならば、ファンドの全資金をOpenAIに投資したいとさえ語ります。350億ドルの評価額で投資すれば、5年後には1.5兆ドル規模の企業となり、5倍のリターンが得られると確信しているからです。GSquaredは現在、AnthropicやOpenAIの株式を積極的に買い集めており、DataBricksやWizといったAIを活用した企業にも大規模なポジションを構築しています。
同時に、彼は「ピック&ショベル(picks and shovels)」戦略も採用しています。これは、AIのインフラを支える企業、例えばGPUを提供するLambdaやCoreweave、そしてAIモデルのスケールアップを支援するScale AIのようなソフトウェア企業への投資を指します。これにより、基盤モデルへの直接的な投資と、それを支えるエコシステムへの投資をバランス良く組み合わせ、AI時代の成長を取り込もうとしています。
「ヴァンパイア」と「ゾンビ」:AI時代に苦しむ既存企業
AIの普及は、既存のテクノロジー企業に大きな課題を突きつけています。アッシュブルック氏は、AIを自社のDNAに組み込めていない多くのプライベート企業を、二つのタイプに分類しています。
- ヴァンパイア(Vampires):これらは巨大で、多くは利益を上げているものの、AIを導入する必要に迫られている企業です。彼らはAIをビジネスモデルに組み込むことで生き残り、進化できる可能性があります。しかし、その移行は容易ではありません。
- ゾンビ(Zombies):これらは既に実質的に「死んでいる」企業で、AI時代においては生き残る術がないと彼らは見ています。多くの企業がこのカテゴリーに属し、AIを後付けで「貼り付ける」だけでは解決できない根本的な問題に直面しています。
アッシュブルック氏は、AIの導入が単なる技術的な追加ではなく、製品、エンジニアリング、顧客サービス、価格設定など、ビジネスモデル全体の再構築を必要とする「ボトムアップ」の変革であると考えています。そのため、多くの「古株」企業はAI時代への適応に苦戦すると予想しており、GSquaredはその中で、低コストで優れた技術を持つ企業への投資機会を見出そうとしています。
「ファンドライフ問題」への懸念と業界の課題
アッシュブルック氏は、ベンチャーキャピタル業界が抱える根本的な問題の一つとして「ファンドライフ問題」を指摘します。多くのファンドが5~7年の期間で設定されていますが、企業が上場するまでの期間が長期化しているため、ファンドが満期を迎えても投資先の流動性が確保できないという事態が頻発しています。これにより、LPsへの資金分配が滞り、DPI(Distributed to Paid-In Capital)が低迷するという課題があります。
彼は、この問題の解決策として、エバーグリーン構造、インターバルファンド、準流動性戦略、そしてコンティニュエーションファンドといった様々なアプローチが試みられている現状を認めます。特に、コンティニュエーションファンドは、良質な資産を選別して買収する傾向があるため、以前よりも興味深い存在になっていると見ています。
また、彼はLPsに対して、投資判断の際にTVPI(Total Value to Paid-In Capital)やMOIC(Multiple on Invested Capital)といった「仮想的な数字」に惑わされるべきではないと強く提言します。これらの数字は、未実現の評価額に基づくため、実際のキャッシュフローとは乖離していることが多いからです。彼がLPsに勧めるのは、実際にキャッシュとして分配された金額を示す「DPI」を唯一の重要な指標として追うことです。「DPIだけが食料を買える唯一のものです」と彼は断言します。
GSquaredの戦略は、まさにこのDPIを最大化することに特化しています。彼らは、世界で最も成長著しいテクノロジー企業に投資し、5年間で2倍の純キャッシュリターン(DPIベース)をLPsに提供することを目指しています。これは、LPsに継続的な資本の選択肢を与え、他のファンドへの再投資を可能にするためです。この迅速な資金回収と高いDPIは、彼らのビジネスモデルの核であり、LPsからの信頼を勝ち取る上で最も重要な要素となっています。
セクション6: 成功の源泉:エッジと情熱、そして謙虚さ
ラリー・アッシュブルック氏の物語は、単なる投資の成功譚に留まりません。彼の生い立ち、お金に対する哲学、リーダーシップのあり方、そして常に「エッジ」を保ち続けることへのこだわりは、彼を突き動かす深い人間的側面を明らかにします。
お金がもたらすもの:幸福ではなく「容易さ」と「複雑さ」
アッシュブルック氏にとって、お金は幸せをもたらすものではありません。「お金は私の人生を楽にする」と彼は言います。そして、「ある意味では複雑にする」とも付け加えます。彼は若い頃、月5000ドル稼げればそれで十分だと考えていました。しかし、実際にそれ以上の富を築いた今、お金が人生にもたらす変化、特に人間関係や自己認識における複雑さを実感しています。
彼の富の追求の根底にあるのは、貧しかった子供時代への深い恐怖です。粉ミルクや政府配給のチーズで育った経験から、「またあの生活に戻るのではないか」という不安が常に彼を駆り立てています。彼の究極の目標は、子供たち、そしてその次の世代が、二度と貧困に苦しむことがないよう、盤石な基盤を築くことです。
「エッジを保つ」ことの重要性
富を築く中で最も難しいことの一つとして、アッシュブルック氏は「エッジを保つこと」を挙げます。成功すればするほど、周囲の人々や環境が変わり、過去の苦労やハングリー精神を忘れがちになります。しかし彼は、自身の原点を常に思い出し、感謝しながらも、成功のために必要だった「エッジ」を失わないことの重要性を強調します。
彼にとって「エッジを保つ」とは、次の勝利を追い続けること、そして敗北の痛みを忘れないことです。彼は過去の投資における失敗の瞬間を鮮明に覚えており、その痛みが彼を次の戦いへと駆り立てる原動力となっています。彼は、スポーツ選手が数々の失敗を記憶しているように、自身も「戦い続けること」を喜びと感じ、負けず嫌いな性格が彼のDNAに刻まれていると語ります。
彼のロールモデルの一つは、MLBの鉄人、カル・リプケン・ジュニアです。16年間、1試合も休まずにプレイし続けた彼の「研磨し続ける(Grind)」精神に、アッシュブルック氏は深く感銘を受けています。それは、最も才能のある選手ではなかったかもしれないが、粘り強さと献身で偉大な記録を打ち立てた人物の生き様です。アッシュブルック氏もまた、GSquaredで「雨が降っても晴れても、毎日20マイル進み続ける」という精神を体現しています。
リーダーシップの成長:傾聴とオープンマインド
アッシュブルック氏は、リーダーとしての自己改善にも意欲的です。彼自身は非常に勤勉で「 grinding」な性格ですが、時にはそれがチームメンバーに過度なプレッシャーを与えてしまうこともあると自覚しています。彼は、ファームが次のステージに進む中で、自分自身がもう少し「落ち着く」必要があると感じています。
彼は共同マネージングパートナーであるスペンサー・マクラウド氏を「これまで出会った中で最も賢い人物の一人」と称し、彼の意見に耳を傾けるようにしています。しかし、全体としては、もっと多くの人々の意見を聞き、オープンマインドでいるべきだと考えています。自身の「生産的パラノイア」という性質は、時に疑心暗鬼を生み、周囲の声を聞き入れにくくすることもあります。このバランスをいかに取るかが、彼にとっての継続的な課題です。過去には、自身の頑なさが原因で、共に歩むはずだった優秀な人材を失ってしまったことへの後悔も語っています。
「生産的パラノイア」がもたらす功罪
アッシュブルック氏のキャリアを語る上で欠かせないのが「生産的パラノイア(Productive Paranoia)」です。これは、常に最悪の事態を想定し、準備を怠らないという彼の思考様式を指します。
Theranosの件では、彼のパラノイアが直感的な違和感を生み出し、結果的に数百万ドルの損失を回避することに繋がりました。また、ファンドの資金調達と投資においても、彼は常に「いつ資金が尽きるか分からない」という切迫感を持って、資金があればすぐに投資を実行するという迅速な意思決定を促してきました。これは、彼の貧しい生い立ちに根ざしたDNAの一部であり、「今日は素晴らしいが、すぐに事態は悪化するだろう」という根源的な不安が、彼を毎日努力へと駆り立てています。
しかし、このパラノイアは時に彼を苦しめることもあります。Getirの事例では、「戦い続ける」という彼の性質が、既に状況が悪い投資に深入りし、損失を拡大させる結果を招きました。また、LPsからの協調投資の要求に、その案件への確信がないにもかかわらず応じてしまったことなども、彼のパラノイアがネガティブに働いた例と言えるでしょう。
要するに、生産的パラノイアは、彼に常に警戒心と行動力を与え、数々の危機を乗り越えさせてきました。しかし、その一方で、過度な不安や強迫観念が、冷静な判断を曇らせたり、人間関係に影響を与えたりする可能性もはらんでいます。彼自身がこのパラノイアとの付き合い方を模索し、いかに「エッジを保ちながらも、よりバランスの取れたリーダー」になるかという課題に直面していることが伺えます。
結論: 型破りな道のりと普遍的な教訓
ラリー・アッシュブルック氏の物語は、ベンチャーキャピタルという激しい競争の世界で、いかにして独自の地位を確立し、成功を収めることができるかを示す貴重な事例です。彼の道のりは、一般的なVC投資家のそれとは大きく異なり、貧困からの脱却、直感と粘り強さ、そして絶え間ない自己改善のプロセスに彩られています。
彼は「知らないことを知らない」無知の幸福を武器に未公開株に挑み、既存の常識を打ち破る「二次市場直接買い」というニッチを切り開きました。AlibabaやSpotifyといった黎明期のメガキャップ企業への大胆な集中投資は、彼の「Go big or go home」という哲学と、データを徹底的に分析し、確信を持てば大きく賭ける「Land and Expand」戦略の勝利を証明しました。
しかし、彼の道のりは順風満帆ではありませんでした。2020-2021年の市場の狂乱期には、成功体験による過信から「自分たちのクソを信じすぎ」、過払いの過ちを犯します。Toastの株価高騰という「炭鉱のカナリア」が鳴り響いたとき、彼は大胆なピボットを敢行しました。LPsに過ちを率直に認め、追加資金を調達し、構造化エクイティ取引を導入することで、ファンドを危機から救い出しました。この経験は、彼に「ソフトな要素」ではなく「数字」に基づいた冷徹な意思決定と、「ガードレール」の重要性を深く刻み込みました。
Theranosの契約破棄の事例は、彼の「イック」と感じる直感と、妻の専門的な助言が、いかに大きな損失を回避する上で重要であったかを示しています。一方、23andMeやGetirでの失敗は、市場の熱狂に流され「マルチプルを追いかける」ことや、個人的な「戦い続ける」気質が裏目に出る危険性を浮き彫りにしました。これらの経験から、彼は「ロゴが投資をする」という組織哲学と、透明性のある協調投資戦略を確立し、ファームの永続性を追求しています。
AI時代においては、OpenAIやAnthropicといった基盤モデルの「勝者」への集中投資と、「ピック&ショベル」戦略を組み合わせることで、新たなメガトレンドを取り込もうとしています。また、多くの既存企業がAIへの適応に苦しむ中、「ヴァンパイア」と「ゾンビ」の比喩を用いて、市場の再編を見据えています。そして、ベンチャーキャピタル業界全体が直面する「ファンドライフ問題」に対し、LPsにはTVPIやMOICといった未実現の数字ではなく、「DPI」という真のキャッシュリターンを追求するべきだと力強く提言しています。
彼の「生産的パラノイア」は、時にリスクを回避し、常に努力を続ける原動力となりますが、同時に自己改善の課題も突きつけます。貧困から抜け出し、家族のために富を築くという彼の根源的なモチベーションは、どんなに成功しても「エッジを保つ」ことの重要性を彼に教えています。カル・リプケン・ジュニアの「研磨し続ける」精神に象徴される彼の不屈の姿勢は、私たちに目標達成のための情熱と継続的な努力の価値を伝えます。
ラリー・アッシュブルック氏の物語は、最新技術への深い洞察、市場の動向への鋭い適応力、そして何よりも人間としての誠実さと成長が、現代の投資とビジネスにおいていかに重要であるかを教えてくれます。彼の型破りな道のりは、私たち自身のキャリア、投資、そして人生において、どのように「エッジを保ち」、困難を乗り越え、真の価値を創造していくべきかという問いに対する、示唆に富んだ答えを提供してくれるでしょう。