David Tischが語る、現代ベンチャーキャピタルの真実:巨大化する市場で「小さく」あることの戦略
現代のベンチャーキャピタル(VC)業界は、かつてないほどの変動期にあります。AIをはじめとする革新的な技術の台頭、資金調達ラウンドの巨大化、そして市場の激しい競争は、従来の投資モデルを再定義しつつあります。そんな中で、初期段階投資家として驚異的な成功を収めてきた人物がいます。BoxGroupの共同創設者であるデヴィッド・ティッシュ(David Tisch)氏です。彼は、低持分比率で非常に多様なポートフォリオを構築するという、一見するとVCの常識に反する戦略を貫き、現代における最高の初期段階投資家の一人としてその名を轟かせています。
本記事では、ティッシュ氏との対談から得られた深い洞察に基づき、現代ベンチャー投資市場の複雑な実態、BoxGroupが実践する独自の戦略の真価、そして起業家やLP(リミテッド・パートナー)が直面する課題、さらにはVC業界の未来像までを詳細に掘り下げていきます。専門家としての視点と分かりやすさを両立させながら、このダイナミックな世界で何が起きているのか、そしてこれからどこへ向かうのかを、読者の皆様が深く理解できるよう努めます。
第1章:現代ベンチャー投資環境の激変とTischの視点
デヴィッド・ティッシュ氏は、現在の市場状況を単なる過去の繰り返しとは見ていません。「今は2021年のようか、という問いに対して、私としてはそうは思いません。21年とは全く関係がありません」と彼は断言します。これは、現在の市場がマクロやミクロの様々な要因が複雑に絡み合い、独立した新しい市場環境を形成しているという認識に基づいています。単なるバブルや一時的な過熱ではなく、根本的な構造変化が起きていると捉えているのです。
1.1. 2021年バブルとの比較と現在の市場環境
2021年は、確かに信じられないほどバブルに近い状態でした。当時は、コロナ禍によるコミュニケーションや購買行動の短期的な変化が市場を牽引し、売るには良い時期でしたが、買うには悪い時期であったとティッシュ氏は振り返ります。しかし、今日の市場はそれとは異質な興奮と複雑さを帯びています。それは「完全に独立した瞬間であり、風変わりで興味深く、おそらく過熱していて、あるいは狂気じみているかもしれない」と彼は表現します。
この状況下で、ティッシュ氏が最も重要視するのは「ミクロの視点」です。ベンチャーキャピタルとして、特に初期段階のVCにとっては、マクロ経済の動向よりも、個別の企業がどれだけ優れているか、どれだけ重要であるかを見極めることが肝要であると語ります。「私が幸運にも投資しているこの会社は、良い会社なのか?素晴らしい会社なのか?最も重要な会社なのか?」——これらの問いは、マクロ経済の波を超越した本質的な価値を見出すためのものです。
もちろん、完璧とは言えない企業が、高い評価額で多額の資金を調達するケースも存在します。しかし、それはベンチャー業界の歴史において常に存在してきた例外的な現象であり、今の過熱感の裏側には、長期的な視点を持って高品質なビジネスを構築している優れた企業が少なからず存在すると彼は指摘します。
1.2. 資金調達の「新常識」
現代のベンチャー投資環境で際立っているのが、資金調達の規模と速度の変化です。
シードラウンド規模の爆発的拡大: かつて数百万ドルが一般的だったシードラウンドは、今や1,000万ドルから2,000万ドルというラウンドサイズが「完全に標準化」しています。実績のある創業者が率いる有望なシード企業にとっては、これがデフォルトの資金調達額なのです。これはVCにとって、設立されたばかりの企業にファンドの大部分を初期投資として投じることを意味し、ビジネスの本質そのものを変えつつあります。
ティッシュ氏は、この変化に不満を言うのではなく、市場の現実として受け入れるべきだと説きます。「もしディール市場というゲームに参加するなら、自由市場の競争力学を変えることはできません」——優秀な創業者が高い評価額で資金を調達しようとする時、他の誰かがその価格で取引を行うのであれば、VCは「イエスかノーか」の決断を迫られるだけなのです。重要だと判断した企業であれば、「イエス」と言うしかないと彼は主張します。
出口規模の桁違いな拡大: 初期段階での投資コストが増大する中で、ベンチャー投資の経済学が成り立つための条件として、ティッシュ氏は「出口の規模が大きくなっていること」を挙げます。10年前には非現実的だった「100億ドル規模の企業を作る」という発想が、今日では初期段階の企業を見つめる際に当然の帰結として予測されるようになりました。評価額、買収、IPOにおいて、以前には見られなかった異常値が頻繁に出現するようになり、これが初期投資の高騰を正当化する要因となっています。
希薄化の抑制: もう一つの条件は「希薄化の抑制」です。急成長する企業にとって、シリーズB、C、Dといった後続ラウンドでの資金調達による創業者や初期株主への希薄化が、以前と比べて劇的に抑えられているとティッシュ氏は指摘します。かつて12〜20%もの希薄化が生じていたのに対し、最近のラウンドでは3〜8%程度の希薄化で資金が調達されるケースが多く見られます。これを複数のラウンドで繰り返すことで、初期投資の希薄化は最小限に抑えられ、経済的なプラス要因となるのです。
1.3. AIが牽引する技術革新の加速
現代の市場環境を特徴づける最大の要因の一つが、AIに代表される「多大な影響をもたらす新しい水平的技術の展開の初期段階」にいることです。ティッシュ氏はこの現象を、衝撃の第一波、初期の反応、停滞、そしてさらなる技術革新というサイクルで説明します。しかし、今回異なるのは、そのサイクルがわずか2〜3ヶ月という驚くべき速さで繰り返されている点です。新しいモデルのリリース、特化型AI企業の新たな収益成長、あるいは巨大なM&A案件といった「ミニサイクル」が業界全体に波及し、変化の速度を劇的に加速させています。
AIは、あらゆる産業や分野に影響を与え、以前はアクセスしにくかった物理的な世界や科学の領域にまで技術の水平展開の道を開いています。しかし、その未来像は依然として不確実性に満ちています。AIが人類を滅ぼすと主張する声もあれば、労働力のあり方を根本から変える豊かな時代が到来すると予測する声もあります。この予測の大きな隔たりが示すように、未来のタイムラインは誰にも明確には見えていません。この複雑な状況下で、今日の創業者は「信じられないほど複雑で変化の激しい環境をリアルタイムに感覚で舵取りし、膨大な価値を創造できるか」が問われているのです。
第2章:BoxGroupの独自戦略:「持分比率よりポートフォリオ多様性」の真価
デヴィッド・ティッシュ氏が率いるBoxGroupの投資戦略は、VC業界の従来の常識に一石を投じてきました。低持分比率で非常に多様なポートフォリオを構築するというモデルは、長年ティッシュ氏自身が批判の的となってきたものです。しかし、彼はその批判を受け止めつつ、自らのモデルが現代市場で完璧な成功を収めている理由を明確に説明します。
2.1. 批判を乗り越えた「低持分比率、多角化」モデル
ティッシュ氏がかつて受けた批判の中心は、BoxGroupが個別の投資案件における「持ち分比率を重視していない」という点でした。彼自身も、過去の自分の考えが硬直的だったと認め、「今回のような成果の拡大を予想できなかったこと」が自身の過ちだったと語ります。しかし、その「過ち」こそが、少額の投資から驚異的なリターンを得ることを可能にしたのです。
「集中投資は幻想」: ティッシュ氏は、集中投資モデルに対する強い疑問を投げかけます。多くの集中投資型のマネージャーが「自分たちが狙った案件の90%を獲得できる」と豪語するものの、彼はそれが「全くのデタラメだ」と一蹴し、実際にはせいぜい20%程度だろうと指摘します。なぜなら、ベンチャー投資は純粋なべき乗則が働く業界であり、真のアウトライヤー(突出した企業)はごく一部だからです。そして、そのアウトライヤーを巡っては、世界最高レベルのVCたちが熾烈な競争を繰り広げています。彼らと正面から戦い、創業者を説得して自分を選ばせることは、決して容易なことではありません。
もし集中投資型のファンドが、並外れた確信を持つ30社に投資しようとし、その30社に10%ずつ出資してポートフォリオを集中させる場合、その30社を確保するために実際には120社から150社以上の企業に投資を持ちかけているはずだとティッシュ氏は推測します。しかし、人々はその事実を認めようとしません。結果として、最も期待を寄せている最高の企業が、必ずしもポートフォリオに入れられるとは限らないのです。
投資機会の最大化: BoxGroupのモデルは、この「集中投資の幻想」とは対極にあります。彼らは、個別の案件単位ではなく、ポートフォリオ全体でのバランスを重視します。ティッシュ氏が言うように、多岐にわたる初期投資の参入ポイントが存在する市場では、ポートフォリオのバランスを保つために参入価格を調整し、多様な企業に投資する方が理にかなっています。
年間50社、時には150社以上もの企業に投資するBoxGroupは、世界最高のVCたちと正面から競争しようとはしません。その代わりに、彼らは「最高の相手だと確信した起業家に投資できる状態であるべきで、ビジネスの都合をその妨げにしてはならない」という信念を貫きます。たとえ1%の持分比率しか得られなくても、それが素晴らしい創業者で素晴らしい機会だと判断すれば、躊躇なく投資します。この柔軟なアプローチこそが、他のVCが見逃してしまうような、あるいはアクセスできないような「期待を寄せる企業」により多く投資できる要因となっているのです。
2.2. 「リーンスタートアップ」は死んだ?:現代創業者の資金ニーズ
デヴィッド・ティッシュ氏の最も挑発的な主張の一つが、「リーンスタートアップは完全に偽物だった」というものです。彼はこれを「10年間にわたって、教授や書籍、ツイートやブログ記事を通じて行われた愚かな洗脳のようなもの」とまで表現し、そのアプローチを実践して実際に成功した会社を一つでも挙げられるか、と問いかけます。
リーンスタートアップは「偽物」論: ティッシュ氏の主張の根底には、現代の市場において企業が実際に成功するためには、多額の資金が不可欠であるという認識があります。「どの会社も、実際に成功しようと思えば、多額の資金が必要なのです。特に今は」と彼は力説します。ブートストラップで成長する会社も存在しますが、ベンチャーキャピタルのフライホイールに乗って成長を目指すのであれば、リーンな状態ではいられないのです。必然的に「太らざるを得ない」と彼は語ります。
資金豊富な環境の利点: 多額の資金を調達することには、創業者にとって計り知れない恩恵があります。それは「より長い滑走路、高い評価額、より大きな勢い、そして話題性」をもたらします。これにより、優秀な人材を採用しやすくなり、事業が大きく成長すると信じる人々がいることを示し、顧客や初期のパートナーを納得させることができます。
もちろん、あまりに多すぎる資金が急に入ったことで、創業者が集中力を失い、気が散ってしまう「子守のような問題」が発生する可能性もティッシュ氏は認めます。しかし、その懸念をすべての創業者に当てはめるべきではないと反論します。素晴らしい創業者であれば、選んだすべての条件を引き受け、高い評価額や多額の資金といった変数を活用して会社を構築していくことができるはずだからです。
資金調達と規律: ティッシュ氏にとって、「リーン」という言葉と「資金が豊富」という言葉の違いは、規律の欠如とは自動的に結びつくものではありません。多額の資金を調達したすべての会社が規律正しくなるわけではないのと同様に、資金が少ないからといって規律があるとは限りません。結局のところ、それは「悪い会社」の話であり、資金の多寡が直接的に規律を決定づけるわけではないのです。彼の視点からは、資金は成長のためのツールであり、それをいかに規律を持って活用するかが創業者の腕にかかっていると言えるでしょう。
2.3. BoxGroupの「創業者ファースト」哲学
BoxGroupの投資哲学は、創業者への深い敬意とサポートに根ざしています。彼らは自分たちの問題を創業者の前に持ち込むことをせず、可能な限り協力的でありたいと願っています。
所有権を求めない投資: BoxGroupは、持分比率に固執しません。中には最初の小切手で1%しか所有しない案件もあれば、10%を所有する案件もあり、その間の比率も全て存在します。彼らは所有権を求めない小切手を切り、取締役会には参加せず、競合するような条件提示書も書きません。むしろ、自分たちがリード案件になることを歓迎し、創業者が資金を得て事業を始められるよう支援することに喜びを感じます。投資方法にはとらわれず柔軟でありたいと考えており、あくまで「初期段階の、夢のようなレベルから関わること」が重要だと考えています。
「最初の一歩」へのコミットメント: BoxGroupが他の多くのVCと違う点は、自分たちのあり方に非常に忠実であり続けてきたことです。彼らは「初日からそこにいることを心がけています」。彼らのDNAであり職務であるものは、夢の段階である「最初の一歩」に寄り添うことに向けられています。この姿勢は、創業者がBoxGroupについて「10年前に私が前回の会社を立ち上げた時と全く同じスタンスですね」と語るほど、一貫しています。
意思決定のスピードと「イエス」に集中する文化: BoxGroupでは、意思決定が非常に迅速に行われます。彼らは「集団思考は最悪だ」と考えており、投票は行いません。案件を進めるには、チームの誰かがその案件に「熱狂すること」が必要です。「これは自分がワクワクする案件であり、やるべきだ」と誰かが強く望むことこそが、意思決定の始まりとなります。
さらに、彼らの投資委員会では「初期段階の意思決定において否定的な意見を禁じています」。創業者と時間を過ごした本人でなければ、それについて否定的なことを言う資格はないという考え方です。もちろん、倫理的な問題や創業者の評判に関する問題があれば共有されますが、それ以外で「手榴弾(批判)」を投げ込むことは許されません。BoxGroupの仕事は「イエス」を導き出すことにあります。
成功を見抜く「魔法」: ティッシュ氏は、ベンチャー投資の最も簡単な側面は「なぜ失敗するのかを説明すること」だと語ります。どんな初期段階の企業でも、リスク要因を5つ挙げれば、なぜ失敗するのかを言うのは容易です。しかし、それがVCの仕事ではありません。彼の言葉を借りれば、「この仕事の魔法は、目を凝らして何がうまくいくのかを見抜くことにあります」。創業者が見るもの、そしてそれらがうまくいくと創業者と意見が一致したものを信じ、「イエス」と答えることこそが、VCの本質的な役割なのです。うまくいかないものに「イエス」と言ってしまうことを恐れてはならないと彼は主張します。
第3章:現代の創業者像とLPが直面する現実
現代のベンチャー投資市場では、創業者のタイプもLP(リミテッド・パートナー)が抱える課題も大きく変化しています。デヴィッド・ティッシュ氏の洞察は、この複雑なエコシステムにおけるそれぞれのステークホルダーの状況を浮き彫りにします。
3.1. 変化する創業者像
ティッシュ氏は、今日の創業者たちが「以前より技術的で、決して悪い意味ではなく、これまで以上に賢い」と評価します。
より技術的で賢い創業者: かつてはセールス主導型の創業者が多かったのに対し、今は技術的な知識がはるかに豊富な創業者が目立ちます。ティッシュ氏は、もし2年後に再びセールスや市場開拓が差別化要因となる時代が来るのであれば、今からそこに賭けることも理にかなっていると語ります。しかし、現在の成功する創業者は、技術的卓越性がその中心にあります。
巨大なスケールへの野心: 現代の創業者は、目標とするスケールへの欲求において妥協しません。「計算を成立させるには、巨大になる必要がある」からです。彼らの野心は、単に「大きい」だけでなく、「機会が無限に感じられる」というレベルにあります。Harry'sのような素晴らしいブランドを築いた創業者でさえ、今のBoxGroupではシード期に投資しないとティッシュ氏は言います。ブランドは製品が共感を得ているか、人々が購入しているかといった初期データセットに基づいて構築されるべきであり、シード期にはそのデータがないため、投資商品としてはシリーズA以降の方が興味深いと説明します。
リアルタイムの変化への対応力: AI時代における最大の課題の一つは、未来の不確実性です。ティッシュ氏が大学生に「10年後の世界がどうなっているかビジョンがある人は手を挙げて」と尋ねたところ、誰も手を挙げなかったというエピソードは、この不確実性を象徴しています。AIが人類を滅ぼすという意見から、豊かさと自由な市場の時代が来るとする意見まで、未来予測の間には大きな隔たりがあります。
このような状況下で、創業者に求められるのは「非常に速く、かつ複雑に変化し続ける状況をリアルタイムで乗りこなせる能力」です。投資すべきかどうか即座に判断できるかという問いに対して、ティッシュ氏は「いいえ」と答えます。なぜなら、世界の変化があまりに速く、それが判断基準にはなり得ないからです。
3.2. LP市場の「フラストレーション」
ベンチャーキャピタル業界には、GP(ゼネラル・パートナー)、起業家、そしてLP(リミテッド・パートナー)という3つの主要なステークホルダーが存在しますが、ティッシュ氏によれば、彼らのインセンティブと現在の状況は乖離しており、それぞれが「非常にフラストレーションを抱えている」と言います。
インセンティブの乖離: LPは特定のベンチャーカテゴリー、例えば「シリコンバレーのピュアプレイのシード投資家、1億ドル未満の小規模なピュアプレイ・シードファンドがいい」といった要望を抱いています。しかし、ティッシュ氏はこのセグメントを「最悪のセグメントですよ」「絶対に避けるべき唯一のセグメントだ」と断言します。その理由は、現在の市場が「起業家優位」の世界であり、静的で焦点を絞った戦略を維持することがGPにとって困難だからです。
大手マルチステージファンドへの集中: LPが求めるようなエクスポージャーやポートフォリオ構成が実際には存在しないという現実が、LPの苛立ちを招いています。多くのマルチステージ・ファンドは複数の商品を持っていますが、LPが「好みではない」と言いながらも、実際には彼らのベンチャーへの配分の大半は、確立されたマルチステージ・ファンドへ向かう傾向があります。これは、そうしたファンドが業界に大規模な資本を投入する手段であり、率直に言って「業界最高の企業にエクスポージャーを得る方法だから」です。
ティッシュ氏は、BoxGroupの2億7,500万ドルのシードファンドから約150社に投資するモデルをLPが理解しないことが多いと語ります。しかし、彼らは自らの計算が正しく、機能していると確信しています。LPが抱える問題に対する簡単な解決策はなく、複雑で絶えず変化する市場において、GPがクリーンに運営する方法も存在しないという現実を彼は示唆します。
3.3. セカンダリー市場と利益確定のジレンマ
VCがExit戦略を考える上で、セカンダリー市場の流動性は重要な要素となっています。しかし、ティッシュ氏は、LPのために働きつつも、顧客は創業者であるという「まったく別個の二つの関係性」を強調し、早期売却には慎重な姿勢を見せます。
VCと創業者の異なる経済状況: ティッシュ氏は、創業者が利益を確定させることについて、VCとは異なる経済状況にあると考えています。創業者が借金を抱えている、あるいは生活上の精神的負担やストレスを抱えている場合、早期に生活を改善する資金を得ることは、かえって会社でのパフォーマンス向上につながります。1,000万ドル、2,000万ドルといった資金が手元にあれば、「安全網があると感じられるからこそ、より大きなリスクを取り、果敢に挑戦できる」というわけです。これは、ファンドの計算を良くしたり、パートナーに利益確定を報告したりするためにVCが持ち分を売却しようとするリスク分析とは全く異なるものだと彼は主張します。
また、初期の従業員にテンダーオファー(株式買取)の機会を与え、早期に流動性を提供することは、人材のリテンション(定着)に役立ちます。数年ごとに株式買取があると思えば、従業員は幸せを感じ、意欲的に会社で働き続けるでしょう。 BoxGroupのポートフォリオ企業でも、定期的に従業員への株式買取を行っているところが多数あり、これは「非常に価値のある文化であり、有効なリテンション戦略」であるとティッシュ氏は述べます。
VCの早期売却リスクと長期保有の重要性: 一方で、VCが早期売却を行うことには大きなリスクが伴います。一つは「創業者が早期売却を望まない場合、その創業者との関係や、こちらの評判を損なうリスク」です。もう一つは、そして最も重要なのが「最高の企業というのは最後に最も大きな成長を遂げるものだから」という点です。20億ドルから40億ドル、80億ドルへと成長させることは、ゼロから10億ドルにするよりも容易です。
ティッシュ氏は、「素晴らしい企業だと信じているのであれば、早期に手を引く理由が見当たらない」と語ります。早期に売却することは、最も大きな利益を逃すことにつながるため、彼はそのようなことをしたくないと考えています。BoxGroupはリスクを扱う商売であり、成長を続ける企業への投資を継続すべきだと考えます。なぜなら、「最後の最後での成長こそが、LPにとっても、自社にとっても、創業者にとっても大きな勝利だから」です。
第4章:ベンチャーキャピタル業界の未来と挑戦
現代のベンチャーキャピタル業界は、激しい競争と構造変化の波に直面しています。デヴィッド・ティッシュ氏の視点からは、この業界がどこへ向かい、どのような挑戦を乗り越えていくべきかが見えてきます。
4.1. VC市場の再編と競争の激化
ティッシュ氏は、ベンチャー市場のノイズはかつてないほど減っており、その一方で競争は激化していると指摘します。「新しいファンドは減っています」という彼の発言は、スピンアウトが増えているという一般的な感覚とは対照的ですが、これは新しいファンドが市場に登場しづらくなっている、あるいは活動を停止しているファンドが増えていることを示唆しています。たとえ名前が残っていても、実質的な活動がなくなってしまうファンドもあるのです。
「持つ者と持たざる者」への二極化: ティッシュ氏は、ベンチャー業界が「持てる者と持たざる者が分かれることになるだろう」と予測します。最高のファームはあらゆる面で成長を続け、最高の創業者とつながり、最も大きなLP資本を活用し、それが最高のリターンにつながるという好循環を生み出します。結果として、競争力のある名前が20〜30ほど残り、その中で突出しているのが10社ほどになるだろうと彼は見ています。
マルチステージ化への志向: 新参のVCファンドの多くは、最終的にマルチステージファームになることを目指しています。小規模なシードファンドとしてスタートし、実績を積んでより大きなファンドを立ち上げ、ビジネスを拡大し、パートナーを迎え、運用資産を増やしていく中で、投資スタイル、ステージ、集中度、投資額は根本的に変わっていきます。ティッシュ氏は新しい投資家と会う際、「4号ファンドはどんな姿ですか?」と尋ねると言います。それは、1号ファンドが何をしているかではなく、彼らが「どこを目指しているのか」を知りたいからであり、その野望こそがそのファームのビジョンそのものだからです。
しかし、ティッシュ氏は、マルチステージファームで実際に運営している人々の多くが幸せではなく、小規模なファームに戻りたいと願っている現実にも言及します。「願うものには注意しろ、手に入ってしまうかもしれないから」という彼の言葉は、闇雲な規模拡大が必ずしも幸福や成功に繋がらないという警鐘を鳴らしています。
もちろん、BenchmarkやUSV、Conviction、Ribbit、Thrive、FoundersFundといったファームは、それぞれ独自のDNAと関係性を持ちながら、拡大の中で素晴らしい成果を上げています。特にThriveのような新しい世代のVCは、従来のマルチステージファームとは異なる方法で業界のトップ層に挑み、短期間で確固たる地位を築き上げています。優れたファームは高い実行力を持ち、真の野心を抱いて、この業界で確固たる地位を築いていくでしょうが、残りは淘汰されていくだろうとティッシュ氏は予測します。
4.2. 成功の定義と「見つける」「選ぶ」「勝つ」
BoxGroupの投資プロセスは、「見つける」「選ぶ」「勝つ」という3つのフェーズに分けられます。ティッシュ氏は、これらのプロセスにおけるBoxGroupの自己評価を率直に語ります。
BoxGroupの自己評価:「中の中」のこだわり: ティッシュ氏は、BoxGroupを「中の中」と評価します。彼らがこだわっているのは「物事を見抜くこと」です。毎日、何かを見出そうと目を覚まし、本来見たいものの50%から75%は見えていると感じながらも、常に改善の余地を意識しています。「見たいけれど見えていないもの」が常にどこかに存在し、それを探し求める執念がBoxGroupの原動力となっています。
「勝つ」ための戦術: 案件を「勝てないとき」は、ティッシュ氏にとって「何をもっとうまくやれただろうか?」という問いに直結します。これは、ベンチャーの世界で戦術的に改善に取り組める領域であり、様々なアプローチを試すことで解決策を見つけ出せると考えます。
彼にとって「勝つこと」とは、起業家が求めるレベルまで自らのサービスを売り込むことです。これは、起業家が何を求めているか、どうすれば自分がその答えだと納得してもらえるかという、深い洞察に基づいたサービス業のような側面を持っています。あまり話したくない起業家もいれば、事務的な助けを求める起業家、友人を求める起業家、経験を求める起業家、常に相談相手でいてくれる人を求める起業家もいます。この多様なニーズに対応するための戦術こそが、VCが「勝つ」ために不可欠な要素となります。
「感性」と「直感」: 選別こそがビジネスの芸術であり、非常に難しいことだとティッシュ氏は語ります。BoxGroupは、他社よりも「イエス」と言っているように見られがちですが、実際は「すべき時に『イエス』と言うこと」に集中しています。初期段階でリアルタイムにそれを判断するのは非常に困難ですが、キャリアを重ねて十分な経験を積めば、自分の感性が確立され、心が動かされれば迷わず「イエス」と答えられるようになると彼は言います。これは、VCの成功が単なる分析やデータだけでなく、経験に裏打ちされた直感や感性にも大きく依存していることを示唆しています。
4.3. 未来への視点:不確実性と自動運転の夢
ティッシュ氏は、今後10年で最も楽しみにしていることとして「この状況がどう展開していくかを見ること」を挙げます。現在の世界が「本当に不思議な不確実性の中」にあるからこそ、この仕事は特別な機会であり、未来に答えを出す起業家たちに出会い、彼らの旅路の一部になれることに魅力を感じています。
AI時代の不確実性: AIの進化は、未来予測をより一層困難にしています。ティッシュ氏が強調するように、未来のタイムラインについて明確な答えを持っている人は誰もいません。ポッドキャストやSNSで世界の行く末を知っているかのように語る人々がいても、実際はそうではないはずです。この不確実性の時代において、VCの役割は、未来を予測することではなく、変化し続ける状況をリアルタイムで乗りこなせる創業者を支援することにあると言えるでしょう。
「あるべき姿」としての自動運転: 今後5年から10年で確実なこと、あるいは「あるべき姿」としてティッシュ氏が挙げるのは「自動運転」です。彼は、自動運転は「技術的には解決済み」であり、それが今そうなっていないことが「もどかしくて仕方ありません」と語ります。データによれば、自動運転が義務化されれば世界中で何十万人もの命を救えるはずなのに、自由や既得権益といった要因がそれを阻んでいる現状に、彼は強い憤りを感じています。
ティッシュ氏は、既存のものを統合する戦略よりも、ゼロから素晴らしいAIファーストの学校を作る方がはるかに簡単であると述べ、社会の長期的利益のために現実的な意思決定を行うことの重要性を強調します。
技術がもたらす豊かさと平等: もし豊かな時代を迎えるのであれば、一部の人々だけでなく、全員がその恩恵を受けられるかを考えることが重要だとティッシュ氏は考えます。技術は概して平等のための力であり、ポジティブな影響をもたらすものです。AIも、健康や科学、あらゆる産業に影響を与え、世界中の人々に素晴らしい恩恵をもたらすような方向に進んでいくことを彼は期待しています。
結論
デヴィッド・ティッシュ氏とBoxGroupの物語は、現代ベンチャーキャピタル業界の複雑な動態と、その中で成功を収めるための独自の戦略を示唆しています。2021年のバブルとは異なる「独立した新しい市場環境」を認識し、マクロよりもミクロ、すなわち個別企業の卓越した価値に焦点を当てること。シードラウンドの拡大、出口規模の巨大化、希薄化の抑制といった「新常識」に適応し、AIが牽引する技術革新の加速に対応すること。そして何よりも、「持分比率よりポートフォリオ多様性」という、一見すると異端な戦略を通じて、最高の起業家を逃さずに投資機会を最大化すること。これらは、ティッシュ氏が体現する現代VCのあるべき姿と言えるでしょう。
彼の「リーンスタートアップは偽物」という挑発的な主張は、現代の起業家が成功するために多額の資金が不可欠であるという現実を浮き彫りにし、資金豊富な環境を規律を持って活用する重要性を説きます。BoxGroupの「創業者ファースト」の哲学は、所有権に固執せず、夢の段階から起業家に伴走し、迅速な意思決定と「イエス」に集中する文化を通じて、単なる資金提供者ではない真のパートナーシップを築き上げることを目指します。
LP市場が抱えるインセンティブの乖離や、セカンダリー市場におけるVCと創業者の異なる利益確定のロジックなど、エコシステム全体に横たわる課題もまた、ティッシュ氏の率直な言葉から見えてきました。そして、VC業界の未来は「持つ者と持たざる者」への二極化が進み、優れたファームだけが生き残る激しい競争の時代へと突入していくでしょう。
不確実性に満ちたAI時代において、未来を予測することよりも、変化し続ける状況をリアルタイムで乗りこなせる創業者を支援し、彼らと共に未来を創造していくことこそが、VCの究極の使命です。デヴィッド・ティッシュ氏とBoxGroupの戦略は、この激変の時代を生き抜くための強力な羅針盤となり、起業家、投資家、そして未来のイノベーションに関わるすべての人々に、深い洞察と新たな視点を提供してくれることでしょう。