AI時代の最前線:Mercor CEOが語るアプリケーション層の防御性と新たな経済構造の真実
AI技術の進化は、私たちの仕事、経済、そして社会のあり方を根本から変えつつあります。この変革の最前線に立つ企業の一つが、急成長を遂げるAI企業Mercorです。共同創業者兼CEOのBrandon Foody氏は、最近のインタビューで、同社の驚異的な成長の裏側、AI時代のサイバーセキュリティの脅威、労働市場の未来、そしてアプリケーション層企業の防御性の課題について、極めて深く、そして率直な洞察を語りました。
この記事では、Brandon Foody氏の言葉を詳細に分析し、AIがもたらすビジネスチャンスと課題、そしてMercorがその中でどのように独自の価値を創造し、未来を形作ろうとしているのかを深く掘り下げていきます。読者の皆様には、AI革命の本質と、それが私たちの世界に与える計り知れない影響を理解するための一助となれば幸いです。
第1章:Mercorの驚異的な成長と試練を乗り越える力
Brandon Foody氏が率いるMercorは、創業以来、AI業界において目覚ましい成長を遂げてきました。わずか数年で100億ドルを超える企業価値と10億ドル以上の年間収益を達成し、「最も急成長しているAI企業の一つ」という地位を確立しています。しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
1.1 ハッキング事件の真相とMercorの迅速な対応
インタビューは、Mercorに関する「噂の真相」に切り込む形で始まりました。その中でも最も注目されたのが、ハッキング事件とそれに伴う収益停滞の噂でした。Foody氏は、ハッキング事件自体は「真実」であると認めつつも、その後の対応とビジネスの回復について明確に語りました。
事件発生時、Foody氏は週末にもかかわらずオフィスにおり、エンジニアリングチームと連携して迅速な対応を開始しました。顧客への透明性のあるコミュニケーションを最優先し、Mandiantをはじめとする一流のセキュリティコンサルティング会社と連携。即座に事態を収束させ、再発防止策を講じました。この迅速な対応の結果、同社は事件後も成長を継続し、過去60日間で3億ドルの純新規ARR(年間経常収益)を追加するという驚異的な数字を叩き出しました。これは、事件がビジネスに与える影響が限定的であったこと、そして顧客との信頼関係が揺るがなかったことを示しています。
Foody氏はまた、当時のソーシャルメディア(X、旧Twitter)での状況についても言及しました。そこでは、事実よりも誇張された情報が拡散され、多くの憶測が飛び交っていたと語ります。しかし、彼は社内チームに正確な状況を伝え、外部の騒音に惑わされずに本質的な課題解決に集中したと述べました。この経験から、Mercorは企業のコアバリューに「セキュリティ」を7番目の柱として追加しました。これは、単なるインシデント対応に留まらず、セキュリティを企業文化に深く根付かせるという強い決意の表れと言えるでしょう。
1.2 AI時代のサイバーセキュリティ:新たな脅威と防御
Mercorのハッキング事件は、AI時代におけるサイバーセキュリティの新たな脅威を浮き彫りにしました。Foody氏によると、攻撃者は「コーディングエージェントの群れ」を利用してシステムへのアクセスを試みたといいます。従来の人間による攻撃と比較して、AIエージェントの群れはコードベース全体を網羅的かつ高速にレビューし、脆弱性を特定する能力に長けています。これにより、攻撃者ははるかに迅速に行動できるようになりました。
この新たな脅威に対し、Foodor氏はAIセキュリティエンジニアリングツールの爆発的な成長を予測しています。顧客側でも、AIモデルのサイバー防御能力の向上に強く関心を寄せており、あらゆる攻撃から企業を守る「最高のAIセキュリティエンジニア」の育成が急務となっています。Mercor自身も、顧客との連携を通じてサイバー防御能力の強化に取り組んでおり、AIが攻撃ツールとして利用される一方で、防御側でもAIが不可欠な存在となる未来が示唆されました。これは、AI技術の発展が常に両刃の剣であることを改めて認識させるものです。
1.3 顧客関係と競合に関する噂の真相
ハッキング事件に関連して、OpenAIやMetaといった主要顧客を失ったという噂も流れました。Foody氏はこれに対し、OpenAIとの関係は「これまで以上に強固になっている」と明確に否定しました。一方で、Metaとの関係については「一時停止している」と認めました。MetaはScale AIの買収により、自然とScale AIとの連携を深めていることが背景にあるとのことですが、詳細については言及を避けました。これにより、単なるセキュリティ問題だけでなく、ビジネス戦略的な側面も関係していることが示唆されます。
また、Mercorが競合他社であるMicro Oneのチームメンバーを数百万ドル規模の契約金で引き抜こうとしているという噂にも言及されました。Foody氏はこの噂も「誤り」であると断言しました。Mercorの従業員がMicro Oneのメンバーに連絡を取ったことはあったものの、正式なオファーは一切出しておらず、提示されたとされる高額な契約金も事実ではないと説明しました。メディアの報道が、初期のコンタクトを実際のオファーとして誤って伝えた可能性を示唆しています。この一連の「噂の真相」は、Mercorのような急成長企業がいかにメディアや市場の注目を集め、時に不正確な情報に晒されるかを物語っています。
1.4 買収の誘惑と「人類が経済にどう適合するか」という大義
Mercorには、Amazonが130億ドルでの買収を試みたという噂もありました。Foody氏はこの噂も「誤り」であると否定しました。しかし、彼は多くの買収提案があったことを認め、個人的には数十億ドルの現金を手にすることも可能だったと語っています。それでも買収に応じなかった理由として、Foody氏は「それが私を突き動かすものではない」と述べ、自身の深いモチベーションを明らかにしました。
彼を突き動かすのは、「人類が経済にどう適合するか」という、世界における極めて重要な問題を解決することです。AIが大規模な雇用喪失を引き起こすのではないかという懸念が広がる中、Foody氏はMercorが「伝説的な企業」を築き、新たな仕事のカテゴリーを創造する機会を得ていると信じています。このビジョンを実現するためには、独立した企業として活動することが不可欠であり、短期的な金銭的利益よりも長期的な社会的インパクトを追求する姿勢が強く感じられます。
AIによる自動化の波は、Insur、Medallia、LinkedIn、Coinbase、ClickUpといった大手企業での大規模なレイオフという形で現実化しています。Foody氏も一定の雇用喪失は避けられないと認めつつも、長期的にはAIによってより多くの雇用が生まれるという楽観的な見方を示しました。彼の視点は、歴史上のあらゆる技術革命(農業革命、産業革命、コンピュータ革命)がそうであったように、生産性の向上は常に新たな需要と雇用を生み出してきたという「労働の固まりの誤謬」への反論に基づいています。この視点は、AIがもたらす変化を単なる脅威として捉えるのではなく、人類が新たな役割を見つけ、より大きな課題に取り組む機会として捉えるべきだという前向きなメッセージを伝えています。
第2章:AIが変える仕事の風景と経済構造の再定義
Mercorのビジネスモデルは、AIが労働市場と経済構造に与える根本的な変化を深く理解していることに基づいています。Brandon Foody氏は、AIが何を自動化し、人間がどのような新しい役割を担うべきかについて、具体的なビジョンを提示しています。
2.1 AI生産性指数「Apex」と仕事の再定義
Foody氏は、AIによる雇用喪失の懸念に対し、最も重要な問いは「AIができる仕事とAIができない仕事は何なのか」を理解することだと指摘します。Mercorが開発した「AI生産性指数(Apex)」は、この問いに答えるための業界標準となりつつあります。Apexは、コンサルタント、投資銀行家、弁護士、ソフトウェアエンジニアといった人気の高い職種において、AIが自動化できる具体的なタスクとできないタスクを測定します。
この測定基準は、AI技術の進歩とともに急速に変化します。Foody氏が例として挙げたのは、Apexにおける最先端モデルのパフォーマンスです。わずか12ヶ月前には1%のスコアだったものが、現在では40%に達しています。この劇的な進歩は、AIの能力が指数関数的に向上していることを示しています。しかし、Foody氏は、この進歩が必ずしも「仕事の終わり」を意味するものではないと主張します。彼は、経済における需要と生産性の弾力性を過小評価すべきではないと強調します。過去250年間、人類は生産性を25倍向上させ、96%もの仕事を自動化してきましたが、その結果として仕事の総量は増え、より多くの雇用が創出されてきました。
確かに、産業革命や農業革命が多大な時間を要したのに対し、AIによる変化の速度は桁違いに速いという反論もあります。しかし、Foody氏は、経済が新しい仕事のカテゴリーを創造し、労働力を再配分する能力も著しく向上していると見ています。その具体例がMercor自身であり、彼らは「史上最速で生まれた仕事のカテゴリー」において、現在1日300万ドル以上を支払い、今後12ヶ月でその額が3倍に達すると予測しています。この新しい仕事は、主にAIエージェントのトレーニング、展開エンジニアリング、データセンターの構築、そしてこれまで解決できなかった気候変動や宇宙探査といった社会的課題に取り組むことに焦点を当てています。
2.2 エージェントトレーニング:未来の最も重要な仕事
Foody氏が5年後に生まれる最も重要な新しい役割として強調するのが、「エージェントトレーニング」です。彼は、AIラボと企業の両方において、このカテゴリーの重要性が過小評価されていると指摘します。すべての知識労働は、本質的に効率的な「エージェントトレーニング」へと収束していくと彼は予測します。
なぜなら、顧客サポートの担当者が何百ものチケットに繰り返し対応したり、弁護士が商業契約の同じような修正を何十回も行ったりする代わりに、一度エージェントをトレーニングすれば、そのタスクを効率的に自動化できるからです。これは、日常的な繰り返し作業(会議の準備、メールの作成など)においても同様です。エージェントを一度トレーニングすれば、その投資はエージェントのライフサイクル全体で償却され、人間が繰り返し作業を行うよりもはるかに効率的になります。このパラダイムシフトにより、誰もがエージェントを管理するようになる未来が訪れるとFoody氏は見ています。
このビジョンにおいて、データ構造とデータクリーンネスは大きな課題となり得ます。ある専門家は「データクリーナー」が未来の最も重要な仕事になると予測しましたが、Foody氏の見解は少し異なります。彼は、モデルの推論能力が向上すれば、データクリーンネスの大部分はAI自身が効果的に行えるようになると考えています。例えば、Slackのメッセージを6ヶ月間読めば、AIが顧客との会話の構造化されたテーブルを生成できるようになるでしょう。
では、人間の役割は何になるのでしょうか?Foody氏によると、人間は組織内の「暗黙知」(書面に記されていない知識)を提供する必要があるといいます。Mercorがエージェントを社内ワークフローに導入しようとした際、膨大な量のコンテキストが人々の頭の中に存在し、エージェントが効果的に機能するためにそれらへのアクセスが必要であることが判明しました。したがって、従業員の新しい仕事は、この暗黙知を体系化し、エージェントを効果的にトレーニングすることになるでしょう。
2.3 データ供給市場の集約とMercorの戦略
AIモデルにデータを提供する市場は巨大であり、医療分野に特化したデータプロバイダーなど、垂直的な専門化が進んでいます。Mercorも、電気技師、整備士、科学者などがカメラを装着して物理世界のデータを収集するなど、幅広い領域でデータ収集を行っています。
Foody氏は、特定の垂直分野で深く掘り下げることができるニッチなベンダーには一定の価値があると認めつつも、最終的には「集約と規模の経済」に大きな価値があると主張します。Mercorが500万人以上のタレントネットワークを持つことで、たとえば追加の医師を見つけるのが格段に容易になります。さらに、弁護士と医師向けに構築するデータシェイプはしばしば類似しており、Mercorのツールは非常にクロスライセンサブルです。このため、大手ラボは、さまざまな垂直分野に対応し、非常に迅速にスケールできる水平統合型のベンダーと提携することを好む傾向にあるとFoody氏は分析します。
このような市場では、今後「統合の時代」が訪れるとFoody氏は予測します。市場が活況を呈している時期には多くの企業が乱立しますが、市場が地に足をつけると、統合の波が来ます。Mercorは5億ドル以上のキャッシュと高い収益性を持つことで、この市場調整期に市場シェアを統合する準備ができています。Foody氏によると、Mercorはシードラウンド後わずか50万ドルを燃焼させただけで、その後は常に黒字を維持しており、調達した資金以上に現金を保有しています。この財務的な安定性が、Mercorの戦略的な強みとなっています。
2.4 「本物の収益」と垂直統合されたビジネスモデル
Mercorのビジネスモデルに対する疑問の一つに、その収益がGMV(流通取引総額)に過ぎないのではないかというものがありました。Foody氏はこれを否定し、Mercorの収益は30~40%の粗利益率を持つ「本物の収益」であると説明しました。
その違いは、Mercorが単に専門家と顧客を仲介するマーケットプレイスではない点にあります。Mercorは、顧客が「モデル改善をもたらす特定のタスク」を依頼する際に、エンドツーエンドのプロセス全体を提供します。これには、以下の要素が含まれます。
- 専門家の調達と採用: 広大なタレントネットワークから最適な専門家を見つけ、採用する。
- プラットフォームの提供: 専門家が効率的に作業できるプラットフォームを構築・提供する。
- AIプロジェクトマネージャーによる管理: AIを活用したプロジェクトマネージャーが、データ生成プロセス全体の調整と管理を自動化する。
- 自動化された品質チェック: 最終製品の品質を確保するための自動チェックシステム。
このように、Mercorはタレントネットワークに「支えられている」点ではUberがドライバーネットワークに支えられているのと似ていますが、その最終製品は、顧客に直接提供される完全なソリューションであり、単なる仲介手数料ではありません。Foody氏は、この「非常に垂直統合された」アプローチが、下流のフィードバック(品質チェックなど)を上流のプロセス(最適な専門家のオンボーディング)に反映させ、データがモデル改善に与える影響を最大化すると説明します。特に、データセット全体のうち、上位20%のタスクが価値の大部分を生み出すという「べき乗則」の性質があるため、高品質なデータを提供できるベンダーは、価格設定において大きな差別化を図ることができます。
Mercorが高付加価値と見なすタスクは、経済的価値に密接に対応しています。具体的には、ソフトウェアエンジニアリング、金融、医療、法律、コンサルティングといった分野における「超長期的なタスク」です。これらは、単に財務モデルを作成するだけでなく、複数の同僚と連携し、数週間にわたるプロジェクトとして分析やスライドデッキを作成するといった、複雑で高度な作業を含みます。このようなタスクに対応できるモデルを構築することが、研究と評価の最前線を押し進める上で不可欠であるとFoody氏は強調しました。
モデルがまだ十分な能力を持たない領域としては、特定のニッチな専門知識(例えば腫瘍学者)と、AIのフロンティアに慣れ、モデルの間違いを見つけ、モデルを学習させることができる専門家の組み合わせが挙げられます。ラボの視点から見れば、Google Workspaceでできるすべてのタスク(メッセージ、Slack、スライド、Excelなど)を自動化するための「完全な分布」をカバーすることが最大の課題であり、これには何十万、やがては何百万もの人々が動員される必要があるとFoody氏は指摘しました。
第3章:AI産業の未来とMercorの戦略的洞察
Brandon Foody氏のインタビューは、Mercor自身のビジネスモデルを超えて、AI産業全体の未来に対する彼の深い洞察に満ちています。特に、アプリケーション層の企業が直面する「防御性の欠如」という課題と、インフラ層の企業が享受する「持続可能な収益性」に関する彼の見解は、AIスタートアップを評価する上で重要な示唆を与えます。
3.1 アプリケーション層の防御性の欠如とインフラ層の強さ
Foody氏は自身のツイート「今後12ヶ月はAnthropicやOpenAIの上流のインフラ企業にとって、下流のアプリケーション層企業よりも劇的に良くなるだろう」を補足し、その理由を詳細に説明しました。
彼の主張の核心は、**アプリケーション層企業のビジネスは、基盤モデル企業のビジネスと「遠く離れていない」**という点です。例えば、ClaudeやCohereのような基盤モデルが、ソフトウェアエンジニアリングの能力を既に示しているように、医療や法律、金融といった領域にもその能力を拡張することは、それほど難しいことではありません。このため、既存のモデルの上にソフトウェアレイヤーを構築しても、その防御性を維持することは「信じられないほど難しい」とFoody氏は見ています。
この見解の根拠は二つあります。第一に、「モデルが製品である」という認識がこの2年間で高まっていることです。APIコールを繋ぎ合わせたり、ドラッグ&ドロップのエージェントビルダーを使ったりするような従来のソフトウェア的アプローチは、モデルに最終目標を与え、それを達成するようにトレーニングするアプローチに、ほとんどのケースで性能で劣っています。これは、モデルをエンドツーエンドでトレーニングする企業にとって極めて有利に働きます。
第二に、ソフトウェアレイヤーは驚くほど迅速に再構築できるようになっている点です。Foody氏は、2025年がモデルがコードベースにプルリクエストを作成する年であり、2026年にはモデルがSlackをエンドツーエンドで複製する年になると予測しています。これらの能力が今後12ヶ月でモデル内に存在するという事実は、純粋なソフトウェアの堀(ディフェンシビリティ)に賭ける企業にとって、極めて重要な意味を持ちます。もし企業がSaaSアプリケーションをエージェント主導で内部的に構築できるようになれば、「SaaSは死んだ」という議論が現実味を帯びてくるでしょう。特定のカスタマイズや統合が必要な企業は、自社でアプリケーションを構築するようになるかもしれません。
しかし、Foody氏はこの予測に一つのただし書きをつけます。それは、ネットワーク効果を持つ企業です。Salesforceのようなプラットフォームの上に多くの企業が統合を構築している場合や、Slack Connectのような強力なネットワーク効果を持つ企業は、防御性を維持できる可能性があります。ネットワーク効果を持つ企業は、製品の速度を10倍にしながら、そのネットワーク効果を活用して顧客価値を高め、結果としてより高い収益を上げることができます。ネットワーク効果を持たない企業は、純粋なソフトウェアでは防御性がなく、非常に苦戦することになるでしょう。Foody氏は、この「ネットワーク効果」が、企業が価値を失うか、劇的に価値を高めるかを決定する「リトマス試験紙」であると見ています。
さらに、Foody氏は、Go-to-Market(GTM)戦略よりも「フォワードデプロイメント」が重要になると主張します。法務事務所への販売を例にとると、関係構築や顧客成功チームの重要性は否定できないものの、優れた営業力でSaaS製品を販売しても、顧客がClaudeにその製品をコピーさせれば同じものが得られると気づけば、価格決定力は維持できません。それに対し、顧客と深く連携し、企業内の暗黙知に基づいてエージェントをトレーニングする「フォワードデプロイメント」のアプローチは、極めて差別化され、再現が困難です。このため、OpenAIやAnthropicのようなラボも、このフォワードデプロイメントの動きに多大な投資を行っています。Foody氏は「サービスが新しいソフトウェアである」というSequoiaの記事に言及し、ソフトウェアの上にサービスを重ね、顧客のニーズに深く応える能力が、より強力な防御性を生み出すと結論付けています。
Mercor自身も、この「AI活用サービス」の概念を実践しています。同社のデリバリー部門には150人ほどの従業員がおり、顧客の最後の1マイルを埋めるフォワードデプロイメントの仕事を行っていましたが、最近ではAIプロジェクトマネージャーがこのプロセス全体をエンドツーエンドで管理し、専門家の雇用、質問への回答、アノテーションツールの構築、最終的なデータタイプの生成までを自律的に行えるようになりました。これにより、「サービスが自動化されている」という現実をリアルタイムで目の当たりにしているとFoody氏は語ります。
3.2 トークンコストの増大とモデルのコモディティ化
AIの運用において不可欠な「トークン」のコストについても、Foody氏は驚くべき事実を明らかにしました。彼が所属するMercorでは、社内エージェントのトークン費用が、従業員の給与総額を上回っているというのです。これは、多くの企業にとって大きなインパクトを与える可能性のある指摘です。
Foody氏はこの現象を、経済学における「ジェボンズのパラドックス」になぞらえて説明します。エネルギー効率が向上すると、エネルギーの消費量が増加するというこのパラドックスと同様に、AIモデルの性能が毎年10倍に向上し、パフォーマンスあたりのコストが低下すると、モデル全体の消費量がどんどん増加していくというのです。この傾向は今後も非常に顕著に続き、企業におけるトークン消費が平準化されるまでにはまだ時間がかかるとFoody氏は見ています。彼は「5年後には、平均的な企業が人件費よりも計算資源(コンピュート)に多くを費やすだろう」とまで予測しています。
この状況に対応するため、Mercorは社内の主要なワークフロー(オペレーション管理、面接質問、候補者評価、経理自動化、詐欺検出など)ごとにAIエージェントを導入しています。そして、それぞれのエージェントに対して、どのモデルがそのユースケースに最適かを判断するための「評価(Eval)」システムを構築しています。このEvalシステムは、特定のユースケースにおける価格とパフォーマンスのパレートフロンティアを特定し、推論費用の配分やプロバイダーの選択を決定するための意思決定を可能にします。
Foody氏は、このEvalシステムが「あらゆるフォーチュン500企業で非常に類似した形で発展していくだろう」と予測しています。企業は、エージェントの振る舞いを評価し、特定のモデルがタスクを正確に実行しているか、最適なワークフローを使用しているかを検証するための「システムの記録」を必要とします。このシステムを導入することで、企業はモデルレイヤーをコモディティ化し、プロバイダー間の完全競争を促進し、スイッチングコストをゼロにすることを目指します。
Foody氏は、API層はコモディティ化すると見ていますが、その上に構築されるワークフローには粘着性(スティッキネス)が生じると考えています。例えば、個人のユーザーがClaudeコードで実行しているルーティンは、別のモデルに移行するのが面倒であるため、ある程度のロックイン効果があります。しかし、年間数百万ドル規模の費用がかかる純粋なAPIベースのワークフローでは、企業はEvalシステムを使って新しいモデルが登場するたびにベンチマークを行い、どのモデルに「ホットスワップ」すべきかを判断するようになります。スイッチングコストがゼロであり、2ヶ月ごとに新しいフロンティアモデルが登場する状況では、モデルはまさにコモディティとなるでしょう。
従来の学術的なベンチマークは、企業の実際の成果とはかけ離れたものでした。しかし、今後は「同僚と連携してワークフロー全体を遂行する」、「財務モデルやスライドデッキを作成する」、「エンドツーエンドのSaaSアプリケーションを構築する」といった、企業が本当に重視するワークフローにモデルがどれだけ対応できるかが評価の焦点になるとFoody氏は語ります。この実用的な評価のフロンティアを押し広げることが、次世代モデル開発における極めて重要な研究課題となっています。
3.3 フロンティアモデルとオープンソースモデルの共存、NVIDIAの未来
AIモデル市場の将来についても、Foody氏は独自の視点を提供しました。彼は、OpenAIやAnthropicのようなフロンティアモデルプロバイダーが「信じられないほどの投資先」であるという市場のコンセンサスが生まれつつあると認めつつも、その将来像は単純ではないと示唆します。
Foody氏は、今後5年間でAIへの需要は現在の数桁も増加すると予測していますが、同時にオープンソースモデルによる競争も激化すると見ています。多くのスタートアップは、まずフロンティアモデルで可能性を探り、その後、コスト効率の良いオープンソースモデル(しばしば中国製)を微調整して、フロンティアモデルにできるだけ近い性能を、はるかに低いコストで実現しようとします。Foody氏自身も、「5年後の推論の大部分は、フロンティアモデルではなく、オープンソースまたはカスタム微調整された、あるいは蒸留されたモデルによって行われるだろう」と予測しています。これは、フロンティアモデルを提供する企業と、それを活用しコスト最適化を図る企業との間で、共存と競争が続くことを意味します。
フロンティアモデルプロバイダーの将来の企業価値については、Foody氏は驚くべき予測をしました。「OpenAIかAnthropicのどちらか一方は、10兆ドル規模の企業になる可能性がある」と彼は語ります。フロンティアモデルの機会は非常に大きく、経済の他の需要の多くを「食い尽くす」可能性があるからです。フロンティアモデルを「教師モデル」として使用し、そこから独自のより小型で効率的なモデルを「蒸留」できる能力も、その価値を一層高めます。
一方、AI開発に不可欠なGPUを提供するNVIDIAについても言及されました。Foody氏はNVIDIAを「驚異的なビジネス」と評価し、今後も成功を続けるだろうと見ています。しかし、彼はAIチップ市場が「マルチチップの未来」へと向かっていると考えています。CerebrasやEtchのような企業が台頭し、多くのラボが自社でチップを開発しているため、5年後にはNVIDIAが現在のような独占的な地位を維持しているとは限らないと予測します。それでも、NVIDIAが30〜40%の市場シェアを維持するだけでも、AI市場の爆発的な成長を考慮すれば「世界で最も価値のある企業」になる可能性は十分にあるとFoody氏は分析しています。
3.4 価値の集中と社会的公平性への懸念
AI技術の発展は、少数の大手企業への価値集中という現象を加速させています。Foody氏も、年間上昇率の84%が上位10社によって牽引されている現状を認識し、その集中について一定の懸念を示しています。
彼の主な懸念は、AIの恩恵を社会全体に、特にサンフランシスコの一握りの人々だけでなく、あらゆる企業や個人にどのように広げるかという点です。しかし、同時に彼は、資本配分の観点から見れば、最も需要があり、最も価値を創造できる企業(例えばAnthropic)に計算資源を供給することが効率的であるとも認めています。この効率性と、社会的な不平等の拡大という側面とのバランスをいかに取るかが、今後の大きな課題となるでしょう。
第4章:社会的責任、リーダーシップ、そしてMercorの未来
Brandon Foody氏のインタビューは、彼のビジネスに関する深い洞察だけでなく、社会に対する強いコミットメントと、リーダーとしての哲学も明らかにしました。
4.1 所得税改革の提言:底辺層の税負担軽減
Foody氏は、彼が大学1年生の時に書いた研究論文に基づき、米国底辺層の所得税を撤廃すべきだという大胆な提言をしました。彼の主張は、雇用が経済における「最大の正の外部性」であるという考えに基づいています。負の外部性(炭素排出や喫煙など)には税金が課せられるべきですが、正の外部性である雇用は、所得税や給与税という形で「非奨励」されているというのです。
AIによる雇用喪失の増加と、特に底辺層のアメリカ人にとっての雇用の不確実性が高まる世界において、この問題は非常に深刻になるとFoody氏は見ています。彼は、所得税の代わりに、経済インセンティブに負の影響を与えない課税方法への移行を提案します。例えば、資本利得税、特に短期資本利得税は、人々が資産に投資するという行動を阻害しないため、より良い選択肢であると彼は指摘します。また、炭素税のような明確な負の外部性に対する課税も、現状のアメリカでは未実施であるため、「ローハンギングフルーツ(簡単な解決策)」だとFoody氏は見ています。
この提言は、投資家がリスクを取るインセンティブを阻害するという反論を招く可能性もありますが、Foody氏は、投資家はポートフォリオ全体でリスクを取るため、全体の利益に課税する分には投資行動への影響は限定的だと考えています。また、底辺層の所得税は政府税収のわずか3%に過ぎず、政策立案者にとっては、その社会的インパクトを考慮すれば「非常に簡単な決定」であると彼は主張します。この提言は、ジェフ・ベゾスが彼のツイートをリツイートしたことで、さらに注目を集めました。
4.2 尊敬する人物、人材、そして欧州の課題
Foody氏は、NVIDIAのジェンセン・ファン、Microsoftのサティア・ナデラ、そしてAmazonのジェフ・ベゾスといった業界の巨人たちへの尊敬を表明しました。特にベゾスについては、Amazonの規律ある企業文化と戦略的リーダーシップに感銘を受けていると語っています。
人材獲得競争の激化は、AI業界全体、そしてMercorのような急成長企業にとって大きな課題です。Foody氏は、Metaの「TBD(超知能研究グループ)」がAI研究者に年間2000万ドルもの報酬(株式だが流動性がある)を提示するような状況に直面していると語ります。これは「競争するのが難しい」レベルです。
最も採用が難しい役割は「リサーチャー」であり、需要が供給の10倍もある市場であるため、極めて困難であるとFoody氏は指摘します。しかし、彼は優れたリサーチチームを構築しており、以前OpenAIに所属していたエドワード・ティアン氏のようなトップリサーチャーもMercorに参画しています。Foody氏は、この異常な報酬水準は、ごく一部の人々に集中する形で続くかもしれないが、将来的にはより多くの人々がAIラボの運用やフロンティアモデルのトレーニング方法に関する知識を得るにつれて、市場の供給が増え、価格がより合理的になることを期待しています。
欧州がAIモデル開発競争において、米国に後れを取っている現状についても意見が交わされました。Foody氏は、欧州がこの状況を変えるのは「難しい」と見ています。なぜなら、最高の才能はOpenAIやDeepMindのような米国のラボに集積する強いネットワーク効果があるためです。これは、単なる経済的な問題だけでなく、地政学的な優位性にも繋がるとFoody氏は見ています。彼は、欧州はモデル競争でリードを目指すのではなく、蒸留やポストトレーニングの能力、そしてアプリケーション開発に注力すべきだとアドバイスします。
「主権モデル」の議論、つまり自国のデータが他国に渡るのを防ぐために自国でモデルを開発すべきという主張については、Foody氏も一定の価値を認めます。例えば、米国法だけでなく英国法やフランス法に精通したモデルが必要とされるなど、地域ごとのローカリゼーションには価値があります。しかし、彼らは米国の大手ラボが、必要であればフランスで1万人を雇用してモデルをフランス法に特化させる能力を持っていると指摘します。他のドメインからのトランスファーラーニング能力が非常に強力であるため、この動きを止めることは困難だというのが彼の見解です。
4.3 組織文化とMercorの未来像
Foody氏は、Mercorの成長に伴う組織運営の課題についても語りました。昨年初めに40人だった社員は、現在では400人にまで増え、ビジネス規模は25~30倍になりました。この急速な成長に追いつくのは「非常にストレスフルだった」と認めつつも、財務や法務といったサポート機能の整備が進んだことで、彼自身は製品開発、研究、顧客対応といったコア業務に集中できるようになり、以前よりも会社の運営が「著しく容易になった」と感じています。
一部でMercorが「996(朝9時から夜9時まで週6日働く)」のような文化を持っているという誤解があることについても、Foody氏は言及しました。彼は、Mercorが労働時間を義務付けたことは一度もなく、自身や共同創業者、リーダーシップチームは熱心に働くものの、多くのリーダーシップチームが子育て中の親であることも理解しており、持続可能な働き方を重視していると説明します。伝説的な会社を築くには献身が必要だが、同時に「世界最高の才能が一生の仕事に打ち込める持続可能な環境」を確保することも重要であるというバランスの取れた視点を示しました。
最後に、Foody氏はMercorの将来的な上場(IPO)への意欲を明確にしました。「すべての伝説的な企業はいずれ上場する」という信念のもと、今後数年以内には上場を目指す意向です。しかし、まだ創業から3年足らずの若いビジネスであるため、エンタープライズ側の事業を「適切に具現化する」までは急がないと述べました。
過去12ヶ月で最も考えを変えたことは、「基盤モデルラボが世界で最も価値のある企業になる」という確信を深めたことだと言います。彼は、Prodコミュニティの友人たち(Rob Walkin, Ben Spectre, Richard Dhan)からの無償の支援がなければMercorは存在しなかっただろうと述べ、彼らへの深い感謝の念を表明しました。このエピソードは、ビジネスの成功の裏には、人間関係とコミュニティからの支援が不可欠であることを示唆しています。
結論:AIが拓く未来とMercorの挑戦
MercorのCEO、Brandon Foody氏のインタビューは、AIがもたらす変革の深さと広がりを鮮やかに描き出しました。同社の驚異的な成長、サイバーセキュリティの新たな脅威への対応、AIが労働市場を再定義し、新しい仕事のカテゴリーを創出する可能性、そしてトークンコストが人件費を上回る未来といった具体的な洞察は、AI時代のビジネス戦略を考える上で極めて重要な示唆を与えてくれます。
Foody氏のビジョンは、AIが単なる技術ツールに留まらず、社会の根幹を揺るがし、新たな経済構造を創造する力を持っているという認識に基づいています。アプリケーション層企業の防御性の課題、モデルのコモディティ化、そしてインフラ層の長期的な優位性に関する彼の分析は、AI投資家や起業家にとって、今後の市場の動向を読み解く上での羅針盤となるでしょう。
Mercorは、「人類が経済にどう適合するか」という大義を掲げ、AIエージェントのトレーニングと管理、高品質なデータ生成のための垂直統合型ソリューションを提供することで、このAI革命の最前線に立ち続けています。その成長は、単なるビジネスの成功物語ではなく、AIが人間と共存し、より大きな課題を解決していく未来への道筋を示唆しています。Mercorの挑戦とFoody氏のリーダーシップは、AIが拓く未知の未来において、私たちがどのように適応し、新たな価値を創造していくべきかという問いに対し、力強い答えを提供していると言えるでしょう。