連続起業家が語る、2度の起業で得た究極の教訓:SmartHRとNstockから学ぶ成長戦略
技術とイノベーションの最前線を追いかけるジャーナリストとして、私はこれまで数多くのスタートアップとその創業者の物語を取材してきました。その中でも、特に深く感銘を受けたのが、連続起業家として知られる宮田昇氏の軌跡です。SmartHRを創業し、日本のHRテック市場を牽引した後に、新たな挑戦としてNstockを立ち上げた宮田氏の経験は、単なる成功談に留まりません。そこには、起業家が直面するであろうあらゆる壁、そしてその乗り越え方に関する、実践的かつ普遍的な教訓が詰まっています。
本記事では、宮田氏が自身の2度の起業、すなわちSmartHRとNstockのフェーズを通じて得た貴重な学びと、その意思決定の変遷を深く掘り下げていきます。組織の構築、カルチャーの醸成、評価制度の設計、資金調達の戦略、そして起業家自身のマインドセットまで、多岐にわたるテーマを通じて、読者の皆様が自身のビジネスやキャリアに活かせる具体的な洞察を提供することを目指します。
1. 起業家のマインドセット:結果志向からプロセスを楽しむ意識へ
起業家の道のりは常に平坦ではありません。多くの困難に直面し、時には挫折も経験します。宮田氏もまた、例外ではありませんでした。
SmartHR時代の宮田氏:崖っぷちからの「結果至上主義」
宮田氏のキャリアは、SmartHR創業以前から波乱に富んでいました。最初のベンチャー企業はリーマンショックの影響を受け倒産、2社目では社長が全国指名手配されるという異例の事態に直面し、3社目でも意見の不一致から1年で退職を余儀なくされました。これまでのキャリアが「ぐちゃぐちゃだった」と振り返る宮田氏にとって、SmartHRの創業はまさに人生をかけた「一発逆転」の挑戦でした。
この時期の宮田氏を突き動かしていたのは、まさに「結果を求める意識」でした。「とにかく爪痕を残したい」という強い焦りと執着が、彼を前のめりにさせ、事業推進の原動力となりました。生き残るため、成功するためには、何よりも結果を出すことが重要であるという、厳しくも現実的なマインドセットが形成されていたのです。
Nstock時代の宮田氏:「プロセスを楽しむ」新たな境地
しかし、2度目の起業であるNstockのフェーズでは、宮田氏のこの「結果至上主義」のマインドセットに大きな変化が訪れます。SmartHRでの事業成長と成功を経て、精神的にも経済的にもある程度の余裕が生まれたことが背景にあるかもしれません。
このマインドセットの変化を象徴するエピソードとして、Visionalの南壮一郎氏の言葉が転機となったことを宮田氏は挙げています。南氏が自身の成功の定義について「プロセスを楽しめていること」と語った際に、宮田氏は深く共感し、自分自身もそうであることに気づかされたと言います。
Nstockの経営において、宮田氏は「会社ミッションの達成」という明確な目標を持ちながらも、そこに至るまでの過程、すなわち「プロセスを楽しむ」ことの重要性を強く意識するようになりました。これは、起業家が事業を長期的に継続し、持続的な成功を収める上で不可欠な要素です。常に結果に追われ、焦燥感に苛まれる状態では、いずれ心身ともに疲弊し、息切れしてしまう可能性があります。プロセスそのものに価値を見出し、それを楽しむことは、起業家が長く、そしてより大きな挑戦をし続けるための心の糧となるでしょう。
2. 組織とカルチャー構築の真髄:言語化のタイミングと再現性
組織の基盤となるカルチャーの構築は、スタートアップにとって極めて重要な要素です。しかし、その方法論は一筋縄ではいきません。宮田氏は2度の起業を通じて、この点に関して貴重な学びを得ています。
1度目の教訓:初期のバリュー策定はなぜ失敗したのか
SmartHRの創業初期、宮田氏は社員が50名になる頃には半年ごとに1泊2日の合宿を実施し、会社のビジョンやバリューを議論していました。初期の段階からカルチャーを重視し、バリューの言語化に取り組んだものの、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
宮田氏はSmartHRの創業初期にバリューを策定しようと試み、バージョン1、そしてバージョン2を作成しましたが、これらは残念ながら組織にうまく機能しませんでした。社員から見ても、これらのバリューは「自分たちのもの感」がなく、形骸化してしまったと言います。結果として、半年に一度見直しを行っても、半年後には誰もそのバリューを覚えていないという状況に陥ってしまいました。
SmartHRが最終的に社員に浸透するバリューを策定できたのは、創業から約2年後、事業の「ピボット」を経てからのことでした。この経験から宮田氏は、初期段階で焦ってバリューを完璧に言語化しようとするよりも、まずは自然発生的なカルチャーの萌芽を大切にし、組織が一定の経験と成熟を遂げた後に、それにフィットする言葉を見つけて言語化する方が効果的であるという教訓を得ています。
2度目の成功:トップの人間性がカルチャーを創る
Nstockの創業時、宮田氏はSmartHRとNstockの両方に携わったメンバーが「カルチャーに7割くらいの類似性がある」と感じていることを認識しました。これは、トップである宮田氏自身の人間性やリーダーシップスタイルが、組織のカルチャーに強く影響を与えるという、ある種の「再現性」があることを示唆しています。以前は「そんなことはない」と否定していたものの、2度目の起業を通じて「そうかもしれない」と認識を改めたと言います。
Nstockでのバリュー策定においても、宮田氏はSmartHRでの学びを活かし、言語化のタイミングを慎重に見極めました。創業から1年半でバージョン3、2年でバージョン4のバリューが生まれ、これらがようやく組織にフィットし、機能し始めたと言います。この期間を経て、当初は馴染まなかった言葉が、組織の成長と共に「改めて重要だ」と認識されるようになることもあったそうです。
この経験は、カルチャーやバリューが、単なる言葉の羅列ではなく、組織の実態やメンバーの共感に基づいたものであることの重要性を示しています。初期段階での「自分たちのもの感」が希薄なバリューは機能しづらく、組織が経験を積み、成長する中で生まれる共通の認識を、最適なタイミングで言語化することが、真に機能するカルチャーを築く鍵となります。
3. 評価制度の最適解:作り込みすぎないアジャイルな運用
組織の成長に伴い、評価制度の導入は避けて通れない課題です。しかし、その設計と運用には、スタートアップ特有の難しさがあります。
SmartHR時代の過ち:緻密すぎた評価制度の代償
SmartHR時代、宮田氏は社員数が10名程度になった段階で評価制度を作り始め、15名体制で本格的な運用を開始しました。この時、最初から個人評価を導入し、詳細まで作り込んだ制度を設計しました。しかし、結果としてこの制度は「運用が重かった」と宮田氏は振り返ります。
評価制度が複雑であるほど、評価者と被評価者の双方に負荷がかかり、本来の目的である社員の成長支援や公正な報酬決定よりも、制度の運用自体が目的化してしまうリスクがあります。スタートアップの急速な変化に対応しきれない硬直した制度は、かえって組織の成長を阻害することにも繋がりかねません。
Nstock時代の進化:シンプルさと成長フェーズに応じた設計
SmartHRでの反省を活かし、Nstockでは評価制度の設計においてよりアジャイルなアプローチが取られています。現在はまだ個人評価を導入しておらず、代わりに「全社目標の達成による一律昇給」という非常にシンプルなルールを運用しています。宮田氏はこのシンプルな制度が、社員数100〜150名規模まで通用すると見込んでいます。
このアプローチは、組織の規模やフェーズに合わせて評価制度の作り込み具合を調整することの重要性を示唆しています。企業がまだ小規模なうちは、個々の貢献を細かく評価するよりも、全社一丸となって共通の目標に向かうシンプルなインセンティブ設計の方が、連帯感を高め、成長を加速させる可能性があります。
ただし、評価制度の導入自体は早い段階で必要であるとも宮田氏は語ります。等級制度や給与レンジといった基本的な枠組みは早期に構築しつつ、個人評価のような複雑な要素の導入は、組織が成熟し、その必要性が高まってからでも遅くないという考えです。このバランス感覚は、連続起業家としての経験から得られた貴重な知見と言えるでしょう。
興味深いことに、宮田氏と同じく連続起業家であるNOT A HOTELの濱渦丈治氏も、全く同じ結論に至っていると言います。評価制度は後から導入しようとすると社員の反発が大きくなるため、早期の導入は必要。しかし、作り込みすぎると運用が重くなり、後回しにしすぎると導入が困難になる、というジレンマの中で、最適なタイミングと作り込み具合を見極めるバランスが求められるのです。
4. 資金調達と起業家の経済的自立:SOの価値最大化と流動性向上
スタートアップの成長には、適切な資金調達が不可欠です。しかし、資金調達は単なるお金集めではなく、資本政策や既存株主、そして社員のモチベーションに深く関わる戦略的な意思決定です。
日本のストックオプションの「紙くず」問題
日本のストックオプション制度には、起業家や社員にとって不利な慣習が長らく存在していました。特に問題視されたのは、「退職後にストックオプションが失効するルール」や「IPO(新規株式公開)しないと換金できない」という点です。IPOまでの期間が平均12年と長期化する中で、多くの社員がその期間を待てずに退職し、結果としてストックオプションが「紙くず」同然になってしまうケースが多発していました。これは、社員が会社の成長に貢献したにもかかわらず、その対価を得られないという不公平感を生み、エコシステム全体の健全な発展を阻害していました。
Nstockの挑戦:市場慣習と法制度への変革
宮田氏がNstockを立ち上げた目的の一つは、まさにこの日本のストックオプションの「ひずみ」を解消することにありました。Nstockは、スタートアップのストックオプションに関するルールや慣習を変えるための働きかけを積極的に行っています。
その具体的な取り組みの一つが、未上場でもストックオプション(SO)を換金できるセカンダリーマーケットの構築です。これにより、社員はIPOを待たずに、自身のSOを現金化する機会を得られるようになります。これは、社員のモチベーション維持に繋がり、優秀な人材がスタートアップで長く働くことを促す重要な要素となります。
また、宮田氏自身もSmartHRのシリーズCのタイミングで、自身が保有する株式の一部をセカンダリーで売却し、約1億円の資金的余裕を得ました。この経験から宮田氏は、起業家が「お金にマインドシェアを奪われないくらいの金額をもらった方が良い」という考えを持つようになりました。経済的な安定は、起業家が事業成長に集中し、より大胆な意思決定を下すための土台となります。
Nstockのこの挑戦は、政府のスタートアップ育成5カ年計画とも軌を一にしています。この2年間で、ストックオプションの権利行使期間が10年から15年に延長されたり、年間行使金額の上限が1200万円から3600万円に引き上げられたりするなど、法制度の改正が急速に進んでいます。来年にはセカンダリーマーケットの規制緩和も予定されており、Nstockのビジネスにとって大きな追い風となっています。
このような変化は、アメリカのLong-Term Stock Exchange(LTSE)のように、IPO以外の多様なEXITパスを提供するという健全な資本市場のあり方に繋がります。これにより、社員は安心して長期的に会社にコミットでき、次の起業や若手スタートアップへの投資といったエコシステム全体の活性化にも貢献できるようになるのです。
5. マーケティングの新常識:ニッチ市場における「啓蒙活動」の重要性
マーケティング戦略は、ターゲット顧客の特性や市場規模によって大きく異なります。宮田氏は2度の起業を通じて、その最適なアプローチを学びました。
SmartHR時代のマスマーケティング戦略
SmartHRのターゲット顧客は「日本全国の全企業」であり、業種や規模を問わず広範な市場を対象としていました。このような市場では、マスメディアを活用した大規模なプロモーションや広告展開が効果的です。宮田氏はSmartHR時代に、マーケティングに多額の投資を行い、広範な市場浸透を目指す戦略を取りました。これは、可能な限り多くの顧客にリーチし、市場シェアを拡大するための合理的なアプローチでした。
Nstock時代のニッチマーケティング戦略
Nstockのターゲット顧客は、「未上場スタートアップ」と「上場企業」という、SmartHRと比較してはるかに限定的な市場(約4,000社ずつ)です。このようなニッチ市場において、SmartHRのようなマスマーケティング戦略は費用対効果が低く、効果的ではありません。
Nstockでは、プロモーション活動を「啓蒙活動」と捉え、より戦略的なアプローチを取っています。具体的には、自社でオウンドメディアを立ち上げ、専門性の高い情報を発信することで、ターゲット顧客の課題意識を高め、解決策としてのNstockの価値を伝えています。また、政府や行政機関へ積極的に働きかけ、日本のストックオプション制度やセカンダリーマーケットに関する法制度改正を促す活動も行っています。
このような啓蒙活動は、単に製品やサービスを売り込むのではなく、市場そのものの課題を解決し、新たな価値観を創造することを目指します。宮田氏はこの戦略を「社会のひずみ」を見極めるセンスと表現しています。政府のスタートアップ育成5カ年計画や税制改革、セカンダリーマーケットの規制緩和といった社会的な変化の波を的確に捉え、Nstockのビジネスがその波に乗ることで、大きな成長を実現しています。
このアプローチは、特定の業界で深い知見を持つ起業家が、その業界の構造的な問題や「闇」を解決するためのスタートアップを立ち上げるケースに類似しています。不動産業界の例を挙げれば、業界の複雑な慣習や不透明性を熟知している起業家が、それを変革するサービスを生み出すことで、市場全体の透明性や効率性を高めることができます。Nstockもまた、日本のスタートアップエコシステムにおける資本政策の「ひずみ」を理解し、それを解決することで、市場の変革者としての役割を担っているのです。
6. EXIT戦略の多様化:IPOだけではない選択肢を
スタートアップの最終目標として、IPO(新規株式公開)やM&A(企業の合併・買収)が挙げられますが、Nstockはこれに新たな選択肢を加えようとしています。
日本のIPO偏重文化と課題
これまで日本では、スタートアップのEXITといえばIPOが主流であり、それが企業の成功を測る唯一の基準のように扱われる傾向がありました。しかし、前述のストックオプションの問題のように、IPO偏重は多くの弊害も生み出していました。IPOを達成するまでの期間が長期化し、その間に退職する社員がストックオプションの権利を失うなど、社員が会社の成長にコミットし続けるためのインセンティブが十分に機能しない状況がありました。
Nstockが描く新たなEXITの形
Nstockは、日本のスタートアップエコシステムにおいて、IPO以外の多様なEXITパスを提供することを目指しています。その核心にあるのが、未上場株式の流動性を高めるためのセカンダリーマーケットの創設です。
アメリカのLong-Term Stock Exchange(LTSE)の事例が示すように、IPOという単一のイベントに依存しない資本市場は、企業にとっても投資家にとってもより健全な選択肢を提供します。LTSEは、短期的な株価変動に一喜一憂するのではなく、長期的な企業価値創造に焦点を当てることを目的とした株式市場です。
Nstockがセカンダリーマーケットを構築することで、以下のような効果が期待されます。
- 社員のモチベーション向上: IPOを待たずにストックオプションを換金できるため、社員はより安心して長期的に会社に貢献できます。
- 起業家の次の挑戦の促進: SmartHRの宮田氏自身のように、一度成功した起業家が保有する株式の一部を現金化し、その資金を元手に次の新たなスタートアップを立ち上げる「シリアルアントレプレナー」の増加に繋がります。
- 若手スタートアップへの資金供給: 次の挑戦を志す起業家が、より初期の段階にある若いスタートアップにエンジェル投資家として資金を供給する機会が増え、エコシステム全体に好循環が生まれます。
- 永続的な企業価値の追求: IPOという一過性の目標に縛られず、企業はより本質的な長期的な企業価値の追求に集中できるようになります。未上場でありながらも、市場を通じて公正な企業価値が評価される環境が整えば、無理に上場を目指す必要がなくなるかもしれません。
Nstockのこの取り組みは、単に株式市場の仕組みを変えるだけでなく、日本のスタートアップエコシステム全体の活性化、ひいては次世代のイノベーションを育む土壌を豊かにするという、大きな将来性を秘めています。
結論:連続起業家が体現する「学び続ける」成長戦略
宮田昇氏の2度の起業の物語は、起業家が自身の経験からいかに深く学び、その学びを次の挑戦に活かしていくかを示す、好例と言えます。SmartHR時代には苦難を乗り越えるための「結果至上主義」で走り抜けた宮田氏が、Nstock時代には「プロセスを楽しむ」ことの価値を発見し、組織や制度設計においてもよりアジャイルで柔軟なアプローチを採用しました。
この変遷から得られる教訓は多岐にわたりますが、共通して言えるのは以下の点です。
- 成長フェーズに応じた柔軟性: 組織の規模や市場の成熟度、事業のフェーズによって、最適な戦略や制度は変化します。初期段階ではシンプルさを追求し、後に作り込みを深くするなど、常に状況に応じたアジャストが求められます。
- トップの学びとマインドセットの影響: 経営者自身のマインドセットの変化が、組織のカルチャーや意思決定の質に大きく影響します。自己成長への意識が、会社の成長にも直結するのです。
- 社会の「ひずみ」をチャンスに変える視点: 法制度や市場慣習といった構造的な課題の中に、新たなビジネスチャンスを見出し、それを解決することで社会に貢献する。これは、持続的な成長を実現する上で強力な原動力となります。
- エコシステム全体への貢献: 自身の成功だけでなく、日本のスタートアップエコシステム全体の課題解決に貢献しようとする姿勢が、結果として自社のビジネスにも大きな追い風をもたらします。
宮田氏の経験は、起業家が一度の成功体験に囚われず、常に市場や社会、そして自分自身の内面と向き合いながら「学び続ける」ことの重要性を雄弁に物語っています。その挑戦は、日本のスタートアップシーンに新たな可能性を提示し、次世代の起業家たちに勇気と具体的な指針を与え続けてくれることでしょう。