Sequoia Capitalの深層:Julien Bekが語る、ハンター集団の哲学、創業者の見極め方、そしてAI時代を拓く新経済圏
私たちは今、テクノロジーの歴史上でも稀に見る変革期に立っています。特にAIの進化は、私たちのビジネス、社会、そして生活のあらゆる側面に深い影響を与えつつあります。この劇的な変化の最前線に立ち、未来のユニコーン、さらには兆ドル規模の企業を見出し、育成しているのが、世界で最も影響力のあるベンチャーキャピタルの一つ、Sequoia Capitalです。
今回、私たちはSequoia Capitalのパートナーであるジュリアン・ベック氏への独占インタビューを通じて、この伝説的なVCの内部に深く潜入します。彼が語るSequoiaの独自の文化、創業者の本質を見抜く「スーパーパワー」、そしてAI時代における革新的な投資戦略は、未来を洞察するための貴重な指針となるでしょう。
ジュリアン氏の個人的な背景から、Sequoiaの厳しい意思決定プロセス、そして「エージェントは新しい顧客」というAI時代の画期的な概念に至るまで、その全てを詳細かつ専門的に、そして分かりやすく紐解いていきます。
はじめに: ベールを脱ぐSequoia Capitalの真髄
「皆、Sequoiaは次なるAnthropicからの電話をただ待っているだけだと思っているでしょう。それは全くの誤りです。Sequoiaの誰もが『ハンター』なのです。」
このジュリアン・ベック氏の言葉は、Sequoia Capitalに対する一般的な認識と、その実態との間に横たわる深いギャップを浮き彫りにします。ジュリアン氏はSequoiaのパートナーであり、その人間性も高く評価されています。彼は、今日のテクノロジー投資の最前線で何が起こっているのか、Sequoiaがどのようにして「偉大な企業」を見つけ、勝ち取り、選び、そして未来を築いているのかについて、これまで語られることのなかった舞台裏を明かしてくれました。
多くの人々が、Sequoiaを単に資本を提供する存在と見なしがちですが、その内側には、独自の文化、哲学、そして絶え間ない進化への渇望が存在します。今回の記事は、あなたがこれまで見たことのないSequoiaの姿、その真髄に迫る試みです。
Sequoiaの文化と哲学:競争とチームワークの融合
「私たちはハンターである」:積極的なソーシングと関係構築
Sequoiaのオフィスに初めて足を踏み入れたジュリアン氏は、その日の早朝、午前4時半か5時頃にオフィスに到着しました。そこで彼が見たのは、すでに最初の電話を終え、オフィスを後にしようとするダグ・レオーネ氏の姿でした。ダグ氏はジュリアン氏に「こんなに早く何をしている?」と尋ね、ジュリアン氏が「最初の電話を取るために」と答えると、ダグ氏は誇らしげに「私はもう最初の電話を終えたよ」と笑いながら去っていったのです。
このエピソードは、Sequoiaが単なる受動的な投資家ではなく、全員が「ハンター」であるという文化を象徴しています。彼らは電話が鳴るのを待つのではなく、積極的に機会を探し求め、時には執拗なまでに追いかけるのです。ジュリアン氏は、Sequoiaのチームが「フットボールチーム」に例えられると語ります。そこでは、在籍年数に関わらず、全員がフィールドでスコアを出すことを期待されます。特に若手は、経験豊富なベテランがより高いパフォーマンスを発揮することを期待されるという、非常に競争的な環境です。
この競争意識は、個人の卓越性だけでなく、チームとしての勝利に繋がります。ジュリアン氏は、パートナーのコンスタンティン・ベラー氏がCitadel Securitiesへの投資を主導した事例を挙げます。Citadel Securitiesはこれまで外部資本を受け入れたことがありませんでしたが、コンスタンティン氏は学生時代からCEOのケン・グリフィン氏との関係を築き、何年もの間、投資の可能性を問い続けました。その粘り強い関係構築の末に、ケン氏が「イエス」と言ったことで、Sequoiaはこの歴史的な投資を実現できたのです。これは、Sequoiaの「ハンター」精神と、長期的な関係構築がいかに重要であるかを示す具体的な証拠です。
「次への投資こそが全て」:謙虚さと進化への渇望
ジュリアン氏がSequoiaの初日にオフィスで目にしたのは、「私たちは次の投資にのみ価値がある」という言葉でした。この言葉は壁に掲げられ、Sequoiaのすべてのパートナーにとって、過去の栄光に安住することなく、常に次なる偉大な投資を追求し続けることの重要性を思い出させます。
パートナーのパット・グレイディ氏は、Sequoiaの謙虚な側面をよく表す言葉を口にします。「人々は私たちが素晴らしいと思っているが、公開されたすべての企業を私たちは旅のどこかの時点で見てきた。それは私たちがどれだけ多くの企業を見逃してきたかを示している。」この言葉は、常に最高の機会を追い求めるSequoiaであっても、完璧ではないことを認識し、それゆえに常にあらゆる企業ミーティングに最大限のエネルギーと準備を持って臨むべきだという、深い謙虚さを表しています。
この謙虚さと絶え間ない進化への渇望こそが、Sequoiaが長年にわたり業界のトップであり続けている理由の一つと言えるでしょう。
「最高の投資は最高の確信から生まれる」:信念の力
Sequoiaの投資委員会(IC)では、投資対象企業に対してパートナー全員が投票を行います。Sha Maguire氏がSpaceXへの投資を提案した際、投票で「1」(最低評価)をつけたパートナーがいたというエピソードは、Sequoia内部の議論がいかに激しいものであるかを示しています。しかし、Sha氏は諦めませんでした。彼はパートナーシップ全体をSpaceXの本社である「シール」に連れて行き、彼ら自身の目でその可能性を見せつけました。その結果、最初は小規模な投資から始まり、後にSequoiaの歴史上最も優れた投資の一つへと発展しました。
ジュリアン氏は、オフサイトミーティングのたびに、何十年も前のファンドリターンを振り返ると語ります。その驚異的なリターンを前に、自分たちがどのように貢献できるのかという重圧を感じる一方で、常に「すべてのファンドにおける最高の投資は、スポンサーが最も高い確信を持っていた企業である」という共通の教訓に立ち返るといいます。
また、Airbnbへのシード投資も、当初は「人の家の床にエアマットレスで寝る」というアイデアが物議を醸し、多くのVCから断られていたといいます。しかし、Sequoiaはそのビジョンに確信を持ち、結果として莫大なリターンを生み出しました。これは、市場のコンセンサスに流されることなく、独自の信念を貫くことの重要性を示しています。そして、一度投資した企業に対しては、その後のラウンドでも継続して投資し続ける「確信」が求められます。
内部意思決定のメカニズム:「非同期思考」と「生の声」
Sequoiaの投資委員会(IC)は、50年近くにわたり毎週月曜日に開催されてきましたが、そのプロセスは常に進化しています。最近では、より「非同期的なアプローチ」を実験しているとジュリアン氏は語ります。全員が招集されるICミーティングの前に、事前に共有されたメモに対して各自が非同期で貢献し、その後、必要に応じてICを招集するというものです。これは、素早い思考を促すICの利点と、熟慮された「遅い思考」を可能にする非同期レビューの利点を組み合わせることで、より良い意思決定を目指す試みです。
創業者からのピッチは引き続き重要であり、創業者はパートナー全員に直接ピッチを行います。ジュリアン氏は、創業者に過度な準備をさせないようにしていると語ります。なぜなら、台本通りのピッチでは、その人物の本質、彼が何を見て、何を信じているのかが見えにくくなるからです。
ICでの議論は「非常に激しい」とジュリアン氏は認めます。パートナーは互いに限界まで押し合い、時には激しく意見が対立することもあります。しかし、最終的には、投資の「スポンサー」であるパートナーが、集まった情報とフィードバックに基づいて決定を下す裁量を持っています。たとえ他のパートナーが低い評価をつけたとしても、スポンサーが強い確信を持っていれば、投資を進めることができます。ただし、その投資が失敗した場合の責任はスポンサーが負うことになります。
このプロセスは、個人の確信を尊重しつつ、パートナーシップ全体の知恵と経験を活用するためのものです。そして、「ハリーの投資ではなく、Sequoiaの投資でなければならない」というジュリアン氏の言葉が示すように、一度投資が決まれば、チーム全体がその企業を支援します。他のパートナーが持つ貴重な人脈やリソースを惜しみなく提供することで、投資先の企業を成功へと導くのです。
創業者評価の「スーパーパワー」:人間性の深掘り
Sequoiaにとって、投資とは単なる事業計画への資本投下ではありません。それは、創業者の「人間性」への深い理解と信念に基づいています。ジュリアン氏は、創業者を「読み解く」能力が「スーパーパワー」になりつつあると語ります。
Don Valentineの教訓:「好きな創業者」と「金を稼ぐ創業者」
Sequoiaの創業者ドン・バレンタイン氏の有名な言葉があります。「『好きな創業者』と『金を稼ぐ創業者』を2x2のマトリックスで分類するなら、私たちの仕事はどの象限で稼ぐかを見極めることだ。」この言葉は、個人的な感情とビジネス判断を切り離すことの重要性を教えてくれます。たとえ個人的に好ましくない特性(例:傲慢さ)を持つ創業者であっても、彼らが市場で成功し、利益を生み出す可能性があるのであれば、それを評価しなければなりません。
ジュリアン氏は、傲慢さ自体が悪であるとは断言しません。むしろ、「それが彼らの『スパイク』(突出した強み)の代償であるかもしれない」と語ります。重要なのは、その傲慢さが、他の弱点を隠すためのものではなく、真に何かを成し遂げるための「スパイク」に由来するものかどうかを見極めることです。
Vulnerability(脆弱性)の重要性:真の姿を引き出す対話
ジュリアン氏が創業者の本質を見抜く上で最も重視するのは、「脆弱性(Vulnerability)」を共有することです。彼は、30分という短い時間の中で、その人物の「スパイク」を見つけ出し、彼らを例外的な存在にするかもしれない要素を理解しようとします。この仕事は、正しい企業に投資できない場合に、そのミスが非常に痛手となるからです。
そのため、ジュリアン氏はまず自分自身から心を開きます。彼は、両親の離婚、幼少期の母親のガンとの闘いなど、自身の個人的な物語を創業者と共有します。これにより、創業者はSequoiaのパートナーにピッチするのではなく、一人の人間として、自身の深い物語を語り始めるのです。これは、表面的なトランザクションではなく、人間としての好奇心と繋がりを重視するジュリアン氏のアプローチであり、創業者の「真の姿」を引き出すための強力な手段です。
この「脆弱性」の共有は、表面的なゲームや巧みな物語に惑わされないためのフィルターとしても機能します。ジュリアン氏は、数字が「ゼロから7億ドルのARRに6ヶ月で到達した」と語りながらも、過去の経歴について「Why」を何度も問い詰めることで、詐欺的な創業者を見抜いた経験を語ります。身体言語の変化、会話のテンポの加速、緊張感など、言葉の裏に隠されたシグナルを読み取ることが重要です。
レファレンスの極意:「超例外的な人物」に尋ねる
創業者の評価において、レファレンスチェックは極めて重要です。ジュリアン氏は、SequoiaのパートナーであるSha Maguire氏の「ELOフレームワーク」を紹介します。これはチェスのレーティングシステムに由来し、「2400点級のプレーヤーであれば、他の2400点級のプレーヤーを10手で識別できる」という考え方です。つまり、誰かがある人物が「超例外的な人物」であるかどうかを判断できるのは、その人物自身が「超例外的な人物」である場合に限られる、ということです。
ジュリアン氏は、レファレンスを取る際には、「優れた人物」に尋ねるのではなく、「超例外的な人物」に尋ねるべきだと強調します。そして、ダグ・レオーネ氏が面接で常に尋ねる質問「最高のレファレンスは誰ですか?なぜですか?そして、最悪のレファレンスは誰ですか?なぜですか?」も効果的だと語ります。最悪のレファレンスから得られる情報は、創業者の「完璧ではない部分」に深い洞察を与え、その人物の全体像を理解する上で非常に役立ちます。ジュリアン氏は、完璧さを求めるのではなく、「明瞭さ」を求めているのです。
Pat Gradyのベクトル・フレームワーク:方向性と規模
Sequoiaのパートナー、パット・グレイディ氏は、創業者を評価するためのシンプルなフレームワークを持っています。「人はベクトルであり、ベクトルは方向(Direction)と規模(Magnitude)の積である。」方向とは、「なぜこれをしているのか?」「どこへ向かっているのか?」という創業者の動機付けとビジョンを指します。一方、規模とは、その人物がどれほど野心的で、目標達成のためにどれほどの苦痛に耐え、努力し続けることができるかを示します。
このフレームワークは、創業者の潜在能力と将来の軌跡を予測する上で非常に強力です。野心的な方向性と、それを実現するための途方もないマグニチュード(規模)を兼ね備えた人物こそが、真に偉大な企業を築き上げることができるという考え方です。
Alfred Linの洞察:「優れたオペレーター」と「優れた創業者」の混同を避ける
Sequoiaのアルフレッド・リン氏が提唱する最新の知恵は、「卓越したオペレーターと卓越した創業者を混同してはならない」というものです。これは、企業の輝かしい経歴を持つ人物が、必ずしも優れた創業者になれるわけではないという警鐘です。DeepMindやOpenAIのような企業で素晴らしい実績を上げた人物であっても、それが彼らを「卓越した創業者」にするとは限りません。特にAI分野では、輝かしいCV(履歴書)を持つ人物に魅了されがちですが、本質を見抜くことが重要です。
多様性と文脈:文化的な違いを理解する
ジュリアン氏は、創業者の評価において、出身国や文化的な背景が大きな影響を与えることを強調します。Sequoiaで最初に行ったデューデリジェンスで、ドイツ企業の顧客にNPS(顧客推奨度)を尋ねた際、皆が「7」と答えたといいます。ジュリアン氏が「なぜもっと高くはないのか」と尋ねると、彼らは「もっと改善できるから」と答えました。これはドイツ文化における謙虚さや完璧主義の表れであり、アメリカ人であればすぐに「10」と答えるような状況とは異なります。
ジュリアン氏は、「フランス人やドイツ人の顧客であれば、NPSに1〜2ポイント加算すべきであり、アメリカ人であれば逆に1〜2ポイント減算すべきだ」と語ります。このように、地域ごとのニュアンスや文化的な違いを理解することが、適切な評価を行う上で不可欠です。
過去から未来を予測する:「旅の距離」の重要性
創業者の評価において、「パターンプラッチ(過去の成功パターンに当てはめること)」は危険な罠だとジュリアン氏は指摘します。特に若い創業者を、経験豊富なオペレーターと比較することはできません。重要なのは、その人物がどのような「軌跡(trajectory)」に乗っているかを理解することです。
「未来の軌跡を予測する最善の方法は、彼らがどのような軌跡に乗っているかを理解すること」であり、そのためには「専門的な経歴だけでなく、人生の最初の15〜20年間を深く掘り下げること」が不可欠です。ジュリアン氏は、フランスのエリート校出身の2人の創業者を例に挙げます。一方は著名な実業家の息子であり、もう一方は両親に捨てられ、養護施設を転々として育った人物でした。後者の創業者が、いかに困難な道のりを経て現在の地位にたどり着いたかを知ることは、彼らの「旅の距離」が並外れたものであり、その人物の並々ならぬ推進力を物語ります。これは、彼らが将来もその軌跡を継続する可能性が高いことを示唆しているのです。
AI時代の投資戦略:変革の波に乗る
「エクスポネンシャルな成長」への適応:人間の認知バイアスの克服
AIの進化は、私たちの線形的な思考能力をはるかに超える「指数関数的(exponential)」なスピードで進んでいます。ジュリアン氏は、AnthropicやOpenAIのような企業が、かつての「10億ドル企業」という概念をあっという間に飛び越え、「兆ドル企業」の可能性を現実のものにしていることに言及します。「10億ドルは新しいシリーズAになり得る」という言葉は、AIがもたらす市場規模の拡大と、それに対応する投資戦略の変化を示唆しています。
人間は線形的に考えるのは得意ですが、指数関数的な成長を理解するのは苦手です。この認知バイアスを克服し、AIがもたらす途方もない可能性を正しく評価することが、Sequoiaの投資戦略の根幹にあります。
「新しい新市場」への集中:差別化とN of One創業者
ジュリアン氏は、現在のAI分野への投資について、かつてのFacebookが台頭した時代の「Kora」や「StumbleUpon」のような、新しいものに「ただ乗っかる」ような投資では成功しないと警告します。本当に「真に新規性の高い企業」に投資するためには、2つの条件があるといいます。一つは「N of One(唯一無二の)創業者」を支援すること、もう一つは「根本的に異なるアーキテクチャ」を追求している企業であること。
例えば、イギリスのIneffableへの投資は、単に既存のものを「より良くする」のではなく、「根本的に違うもの」を目指す創業者のビジョンに賭けたものです。AIブームの中で成功するには、差別化されたアプローチと、それを実現する唯一無二の才能が必要なのです。
シリーズA投資の変貌:ハードウェアと物理的AIの台頭
現在の投資環境において、シリーズAラウンドは最も難易度が高いとされています。しかし、ハードウェアや「物理的AI」のような新たな分野では、状況が異なります。これらの分野では、製品の妥当性を検証するまでの時間が長く、そのため、企業はより早期段階で投資を必要とします。
ここでは、「ARRゼロから100万ドルへの到達速度」ではなく、「動作するプロトタイプへの到達速度」が評価基準となります。物理的な「アトム」を動かすため、開発にはより多くの時間と資本が必要です。このため、将来的にはファンド間の「コラボレーション」が増加し、複数のVCが共同で企業を支援する形が増えるだろうとジュリアン氏は予測します。
所有権(Ownership)への揺るぎないコミットメント
AI時代における市場規模の拡大や資本集約度の増加にもかかわらず、Sequoiaは「所有権(Ownership)」へのコミットメントを緩めていません。ジュリアン氏は、自身のキャリアで年に2〜3社の創業者としかパートナーシップを結ばないため、生涯で投資できる企業数は限られていると語ります。だからこそ、一つ一つの投資に対して「自分を出し惜しみ」せず、創業者の共同創業者であるかのように深くコミットするといいます。
Sequoiaは、投資先の企業に対して、最初の顧客の獲得、トップ人材の採用など、事業運営のあらゆる側面に深く関与します。例えば、Reallettという企業のために、Sequoiaは年初から17社の公開企業のCFOと面会をアレンジし、そのうち何社かは顧客になったといいます。このような「ハンズオン」な支援は、多くの企業に分散投資するモデルでは実現不可能です。Sequoiaのモデルは、少数の厳選された企業に深くコミットし、高い所有権を保持することで、莫大なリターンを目指すものです。
「エージェントは新しい顧客」:AIが生み出す新経済圏
ジュリアン氏が提唱するAI時代の最も革新的な概念の一つが、「エージェントは新しい顧客である」というものです。今から3年後のAI時代において、エージェント(AI)のトラフィックは人間のトラフィックに匹敵する、あるいはそれを超える勢いで増加しています。Cloudflareの予測では、5年後にはエージェントのトラフィックが人間の1000倍になる可能性さえあるといいます。人間は指数関数的な成長を理解するのが苦手ですが、この現実に備える必要があります。
ジュリアン氏の仮説は、需要側において、私たちがこれまで人間と同じように扱ってこなかった「新しい顧客」、すなわち「エージェント」が存在する、というものです。今日のAIは、主に利便性のためにタスクを委任されていますが、将来的にAIがさらに賢くなれば、より良い意思決定ができるようになるため、人間はAIに委ねるようになるでしょう。
これまでの20年間、私たちは「ピクセルパーフェクト」なウェブサイトやUIを構築し、人間の顧客を最大限にコンバートすることに注力してきました。しかし、エージェントが新たな顧客となる世界では、「ビットパーフェクト」なプラットフォームを構築し、エージェントをコンバートすることに焦点を当てる必要があります。
この変化によって何が変わるのでしょうか? 短期的には「UIはゼロになる」「ブランドロイヤリティはなくなる」「底値競争になる」という見方ができますが、ジュリアン氏は「遅い思考」の答えを提示します。エージェントも人間と同様に「バイアス」を持っています。そのバイアスは、プレトレーニングデータや人間によるポストトレーニングによって形成されます。実際、ヘッジファンドがエージェントの意思決定を分析するためのデータを購入している例もあるほどです。
私たちは、人間の顧客のバイアスを理解してきたように、エージェントがどのように意思決定をするのか、そしてそれが異なるモデルプロバイダーや製品・サービス間でどのように異なるのかを理解する必要があります。この過渡期の始まりにおいて、Sequoiaはすでに「Profound」のような企業に投資しています。これは、チャットインターフェースを使用する人々に対してビジネスの可視性を高める「AEO(Answer Engine Optimization)」の先駆者です。ジュリアン氏は、AEOがSEO(検索エンジン最適化)よりもはるかに大きな市場になる可能性があると示唆します。これは単なる新しいカテゴリではなく、人間経済と並行して存在する「並行経済」がエージェントのために形成される、ということです。
サービス経済の再定義:ソフトウェアがサービスに「偽装」する未来
ジュリアン氏のバイラルになった投稿では、「次なる兆ドル企業は、サービスビジネスを装ったソフトウェア企業になる」と予測しています。ここで重要なのは「装った(masquerades)」という点です。これは、単なるサービス企業であってはなりません。
AIの第一波が「コパイロット」(人間の仕事を支援するツール)であったのに対し、モデルの進化により、AIがタスクをエンド・ツー・エンドで完遂できるようになりました。これにより、ツールを売るのではなく、「結果(outcome)」を直接売ることが可能になります。例えば、会計ソフトウェアを2000ドルで販売するのではなく、帳簿閉鎖という結果を15000ドルで販売するようなイメージです。通常、ツールへの支出とサービスへの支出の間には1:6の比率があるといいますが、ジュリアン氏が問うのは、いかにしてこの「6ドル」の価値を捉えるかです。
顧客サポート分野は、すでにこの「オートパイロット」カテゴリに移行しつつあります。Sequoiaのポートフォリオ企業であるSierraは、AIを活用して顧客サポート業務を自動化し、チケット解決という「結果」に対して課金しています。これにより、航空会社などがチケット解決に1件50ドルかけていたところを、Sierraは5分の1の価格で提供します。最初はコパイロットとして導入されますが、やがてAIがワークフロー全体をエンド・ツー・エンドで実行するオートパイロットへと移行し、生成された結果に対して報酬を受け取るのです。
もちろん、人間の判断が必要な曖昧な領域(営業やマーケティングなど)では、この移行は困難です。しかし、ジュリアン氏のフレームワークでは、「知能(intelligence)」(モデルが得意な検証可能な事実)と「人間の判断(judgment)」(経験に基づく微妙な判断)が融合します。コパイロットは人間の判断のループに入り込むことで、今日の判断が明日の知能となるように学習し、進化していきます。
Microsoft、OpenAI、Anthropicといった企業がサービス・実装部門に巨額の投資をしているのは、AIの実装において依然として人間の判断と手作業が必要であることを示しています。Sequoiaが投資する「Octar」のようなAIソフトウェア実装企業は、1人の人間が10人分の仕事をこなせるようにすることで、人間のレバレッジを高めています。ジュリアン氏は、「コパイロットからオートパイロットへの移行は、人間を完全に排除するものではなく、最終的にはAIが多く、人間が少なくなる状態であっても、ソフトウェアのような利益率を持つ企業を構築できる」と強調します。
インフラストラクチャvsアプリケーション:両方への投資
AI投資において、「インフラ層」と「アプリケーション層」のどちらに注力すべきかという議論があります。多くの投資家が、インフラ層はより耐久性があり、勝者が明確だと考えがちです。しかし、Sequoiaは「両方に投資する」というアプローチを取っています。
ジュリアン氏は、「人間は指数関数的な成長を理解するのが苦手だが、同時に『対立するアイデアを同時に保持する』という真実を理解するのも苦手だ」と語ります。これは、Fireworksのようなインフラ企業がAI革命の始まりで市場を席巻する一方で、Reallettのようなアプリケーション企業が、既存のソフトウェア市場を超えた新たな顧客を獲得し、やがて巨大で強固なビジネスを構築できるという、両方の真実を同時に信じるSequoiaの姿勢を示しています。Sequoiaは、両社が大きく成長する可能性を信じ、両方に投資しているのです。
特に、Reallettが伝統的な企業(自動車修理工場やオークション会社)といったテクノロジー以外の顧客層を急速に拡大している事例は、AIの恩恵が「リアルエコノミー」全体に波及していくことを示唆しており、Sequoiaがこのような広範な影響を見据えていることを表しています。
利益率(Margins)の変容:市場規模の拡大
AIアプリケーションの初期段階では、伝統的なソフトウェア市場よりも粗利率が低い傾向にあります。しかし、ジュリアン氏は、市場規模が拡大しているため、これらを問題視しないと語ります。人間向けのアプリケーションは、短期的にフロンティア(最先端)で動作することの恩恵を受けますが、やがて顧客サポートエージェントが200 IQのAIを必要としなくなるように、その恩恵は薄れていきます。
一方、機械と機械のインタラクションにおいては、500 IQのAIが不可欠であり、そこではフロンティアでの運用が常に重要であり続けるでしょう。オープンソースモデルが十分な性能を持つアプリケーションでは、それらの利用を奨励し、コスト効率を追求します。しかし、人間のパリティにまだ到達していない領域では、顧客の信頼を勝ち取り、競合他社に優れた製品を構築するために、たとえ一時的にネガティブな粗利率であっても投資を惜しまない、という戦略を取ります。これは、長期的な市場支配と成長を見据えたSequoiaの視点です。
Sequoiaパートナーたちの知恵:それぞれの「スパイク」
Sequoiaのパートナーシップは、それぞれが異なる「スパイク」を持つ、多様な才能の集団です。ジュリアン氏は、何人かのパートナーについて、その際立った能力を語ってくれました。
Dean Meyer(ベストソーサー): テルアビブを拠点にしながらも、常に飛行機に乗っているパートナー、ディーン・マイヤー氏は、最高の「ソーサー」(企業発掘者)として挙げられます。元プロサッカー選手としての競争心と、長年のキャリアで培った技術的深さを兼ね備え、若手から大物起業家まで、あらゆる創業者と繋がりを持つ能力に長けています。
Luciana Lhoest(ベストピッカー): ジュリアン氏をSequoiaに誘い、Excel時代から共に働くルチアナ・ランドルー氏が、最高の「ピッカー」(企業選定者)です。Deliveroo、Framer、Penny Lane、Starkといった、消費者向けからソフトウェア、物理的AI、防衛まで、多様なカテゴリで次々と成功を収めており、パターンにとらわれず常に自身を再発明する能力が際立っています。
Sha Maguire(ELOフレームワーク、IQ/EQ/Judgment/Political Coefficient): Sha Maguire氏は、前述のELOフレームワークに加えて、人物評価に「IQ(知性)」「EQ(感情)」「Judgment(判断力)」「Political Coefficient(政治的係数)」という4つの軸を用いる独自の視点を持っています。彼の見解では、「判断力はIQよりも重要であり、政治的係数はEQよりも重要である」といいます。政治的係数とは、政治的に複雑なシステムをナビゲートする能力を指し、Sha氏自身もこの能力に長けているとジュリアン氏は語ります。
これらのパートナーたちは、それぞれの強みを生かし、Sequoiaの投資判断を多角的に、そして深く検証することで、常に最高の機会を追求しています。
未来への視点:BCIと人類の進化
ジュリアン氏は、様々なカテゴリに対する自身の見解と、未来への興奮を語ってくれました。
最も過剰に資金が供給されているカテゴリ:Legal Tech
ジュリアン氏が最も「過剰に資金が供給されている」と考えているカテゴリはLegal Techです。HarveyやLagoraのような企業がすでに幅広い流通を確立している中で、次々に登場する競合企業に投資することの意義に疑問を呈しています。彼は、この市場が「勝者総取り」ではない可能性を認めつつも、既存の強力なプレイヤーが存在する中で、n番目の競合が成功する可能性は低いと見ています。
資金不足のカテゴリ:BCI (Brain Computer Interfaces)
一方で、ジュリアン氏が「資金が不足しており、もっと投資されるべきだ」と考えているカテゴリは、BCI(Brain Computer Interfaces)です。彼は、「最も賢い人材がどこへ向かうかに従うべきだ」という信念を持っており、10年前にはAI/MLに多くの賢い人材が集まっていたように、今後はBCIが次のフロンティアになると予測しています。
最高のエージェントカンパニー(Sequoia以外):Cursor
Sequoia以外の最高の「エージェントカンパニー」として、ジュリアン氏は「Cursor」を挙げます。彼らは最も重要な市場の一つにいるだけでなく、AIラッパーに関する議論が盛んだった中で、モデルをポストトレーニングし、スタックのより深い層に入り込むことの重要性を最初に理解した企業だと評価しています。
最も後悔している見逃し:Trade Republic
Sequoiaに加わる前、ジュリアン氏はTrade Republicのシードラウンドを見ていましたが、「Revolutに食われるだろう」と考え、投資を見送りました。しかし、結果的に両社はほとんど競合せず、それぞれ素晴らしいビジネスを築いています。この経験から、ジュリアン氏は「勝者総取り市場ではないこと」「カテゴリの規模を過小評価していたこと」を学びました。
妥協しない創業者特性:Intensity(情熱・熱意)
創業者に求める妥協できない特性として、ジュリアン氏は「Intensity(情熱・熱意)」を挙げます。大きなビジネスを構築するためには、計り知れない努力と苦難を乗り越える必要があり、そのためには燃えるような情熱が不可欠だと考えています。
競合他社:Revolutをめぐるジュリアン自身の体験談
ジュリアン氏は、競争相手について語る代わりに、自身の個人的な投資経験、Revolutとの出会いの物語を語ってくれました。彼のキャリアの初期、ベンチャーの世界に入ってわずか2週間後、彼はRevolutの創業者ニコライ・ストロンスキーに出会います。その強烈な情熱に感銘を受け、彼は毎日オフィスに通い詰め、ニコライの共同創業者ヴラド・ヤツェンコとのミーティングをようやく取り付けました。しかし、Revolutは競合他社からの投資を受けることを決定し、ジュリアン氏はひどく落胆しました。
「これはPayPalよりも大きくなる可能性がある」と確信していた彼は、個人的に投資する機会を懇願し、SPV(特別目的事業体)への参加を許されました。しかし、当時の彼は無一文で、投資資金を捻出することができませんでした。そこで彼が相談したのは、彼の人生のビジネス上の意思決定において常に支えとなってきた母親でした。母親は、彼に資金を提供し、50/50で投資するという提案を受け入れました。10年後、ジュリアン氏がRevolutの株式を一枚も売らずに買い増し続けたのに対し、彼の母親はほとんどの株式を売却し、74歳で引退しました。
ジュリアン氏は、Sequoiaのパートナーたちに冗談交じりに「彼らはベック家で2番目に優れた投資家を雇っただけだ。なぜなら、私の母はシリーズAでRevolutに全額投資したのだから」と語ります。当時、彼は年収3万ポンドでしたが、Revolutは2億ドルの評価額で始まり、現在は1000億ドルを超える価値を持つまでになりました。この感動的な物語は、信念の力、そして個人的な繋がりがもたらす長期的なリターンを象徴しています。
Sequoiaのパートナーシップにおける多様な意見
ジュリアン氏は、Sequoiaについて「SequoiaはXとYを信じていると言う人が多いが、実際には私たちには非常に異なる意見がある」と強調します。AIについても「ハウスビュー」(会社としての公式見解)はなく、彼自身が「サービスが新しいソフトウェアになる」という記事を公開する一方で、他のパートナーが全く異なる見解を示すこともあるといいます。
これは、Sequoiaが「スパイキーな人材」(突出した個性を持つ人物)に投資しようとするのと同様に、Sequoia自身も「スパイキー」でありたいと考えているからです。確立されたブランドとは、人々がそれに対して何かを感じるものであり、たとえ意見が異なっても、個々のパートナーの強い信念と個性を尊重する文化がSequoiaにはあるのです。
AIがもたらす未来:人類の課題解決
ジュリアン氏が今後5年間で最も興奮しているのは、AIがもたらす人類の課題解決能力です。現在のAIが120 IQ程度のテスト結果を出しているのに対し、500 IQのAIが実現すれば、彼の父親や彼の母親の病気の治療法、あるいは人類が現在直面しているあらゆる問題に対する解決策を見出すことができるかもしれないと語ります。
これらの変革は、私たちが今日悩んでいるあらゆることを、完全に取るに足らないものにしてしまうでしょう。ジュリアン氏は科学の世界の出身ではありませんが、生命科学や生物学のフロンティアを押し進める企業に大きな期待を寄せており、特にロンドンがこの分野で多くの注目を集めていることに喜びを感じています。人間の創造性を過小評価すべきではなく、AIがビルディングコストを大幅に引き下げることで、これまで以上に多くのアイデアが現実のものとなるだろうと彼は信じています。
まとめ: Sequoiaが見据える次なるフロンティア
ジュリアン・ベック氏の言葉から浮かび上がってきたSequoia Capitalの姿は、単なる資金を提供するベンチャーキャピタルではありませんでした。そこには、常に最高の機会を追い求める「ハンター」としての飽くなき探求心、過去の栄光に安住せず、謙虚に次なる投資を追求し続ける「進化の哲学」がありました。
創業者の評価においては、表面的な輝きに惑わされず、脆弱性の共有、深い問いかけ、そして文化的な文脈の理解を通じて、その人物の本質、そして「旅の距離」によって形成された比類なき情熱と軌跡を見極める「スーパーパワー」を培っています。そして、その判断は、Sha Maguire氏のELOフレームワークやPat Grady氏のベクトルフレームワークといった、洗練された思考ツールによって支えられています。
AIがもたらす劇的な変革の波に対して、Sequoiaは「エージェントは新しい顧客」という画期的な概念を提示し、UIの変容、AEO市場の誕生、そしてサービスがソフトウェアに「偽装」する未来のビジネスモデルを見据えています。これは、指数関数的な成長を理解し、人間の認知バイアスを克服することで、AIが創出する新たな経済圏の可能性を最大限に引き出すための戦略です。
Sequoiaは、インフラとアプリケーションの両方に投資し、伝統的な企業へのAIの浸透を促すことで、「リアルエコノミー」全体を変革しようとしています。そして、一時的な利益率の低下を許容し、フロンティアでの投資を継続することで、長期的な市場支配と人類全体の課題解決という、より大きなビジョンを追求しています。
ジュリアン氏のRevolutとの個人的な投資の物語は、Sequoiaの投資哲学の根底にある、人間としての信念と、それに賭ける勇気を象徴しています。Sequoiaのパートナーたちは、多様な意見と「スパイク」を持つことで、常に建設的な議論を重ね、未来のフロンティアを切り拓こうとしています。
AIがもたらす未来は、計り知れない可能性を秘めています。Sequoia Capitalは、その複雑なパズルを解き明かし、人類の最も困難な課題を解決する力を持つ「500 IQ AI」の登場を、そしてそれが生命科学や医療にもたらす変革を、最も胸を躍らせて見守っているのです。彼らは、単なる投資家ではなく、未来を形作り、人類の次の進化のステップを支援する、まさに時代の先駆者と言えるでしょう。