基盤モデルはコモディティ化するのか?Benedict Evans氏が語るAI市場の深層と未来
現在のテクノロジー業界を席巻する人工知能(AI)の波は、その進化の速さ、投資規模、そして社会への潜在的な影響の大きさにおいて、過去のどの技術革新とも比較される未曾有の現象です。しかし、この熱狂の中で、私たちは本当にAIがもたらす価値の源泉を理解しているのでしょうか?「AIが世界を食い尽くす(AI Eats the World)」というプレゼンテーションで知られる著名なテクノロジーアナリスト、Benedict Evans氏は、現在のAI市場、特に基盤モデルの位置づけについて、世界とは異なる、しかし極めて説得力のある視点を提供しています。
本記事では、Evans氏がa16zポッドキャストで語った洞察に基づき、基盤モデルがコモディティ化する可能性、過去のプラットフォームシフトとの比較、そしてAIが切り開く未来のビジネスモデルについて深く掘り下げていきます。AIへの巨額投資の裏側で、本当に価値を掴むのは誰なのか?その問いに答える鍵が、彼の冷静かつ歴史的な視点の中に隠されています。
AI市場の現状と加速する採用サイクル:進化の初期段階にあるテクノロジー
Benedict Evans氏は、技術の採用が常に加速しているという歴史的パターンから話を始めます。モバイルはインターネットを待つ必要がなく、インターネットはPCを待つ必要がなく、PCは家電や半導体を待つ必要がなかったように、技術は先行するインフラの上に築かれ、その普及速度を指数関数的に速めてきました。AIもまた、この加速する採用サイクルの渦中にあります。私たちは、過去1年半の間に、AIが具体的なプロダクトとして機能し始める瞬間を目撃しました。
プロダクトマーケットフィットの発見:コーディング分野の驚異的な成長
現在、AIが最も明確なプロダクトマーケットフィット(PMF)を示している分野は、「エージェント的コーディング(Agentic Coding)」、すなわちAIが自律的にコードを生成・修正する能力です。OpenAIの戦略が二転三転する中で、Anthropicがコーディングに注力し、その効果が実証されたことで、テクノロジー業界全体の注目がこの分野に集まりました。Evans氏が指摘するように、ある企業のコーディング関連サービスの年間売上高は、わずか半年で90億ドルから470億ドルに急増しており、これは顧客がその価値を「手から奪い取るように」欲している状態を示しています。
なぜコーディングが最初に成功したのでしょうか?Evans氏は、初期のPCが「コンピューターを作る」ために使われたり、LLM(大規模言語モデル)自体が「より多くの計算能力を作る」ために使われたりしたのと同様に、ソフトウェア開発者がAIを「ソフトウェア開発に使う」のはごく自然な流れだと説明します。技術に精通した人々が、まず自分たちの業務を効率化しようと試みるのは、どのプラットフォームシフトにおいても共通のパターンです。
未だ模索される広範な普及:限定的なデイリーユーザーと特定の用途
しかし、コーディング分野での目覚ましい成功とは対照的に、AIの広範な普及はまだ初期段階にあります。データによると、AIツールのデイリーアクティブユーザーは全体の約10%、ウィークリーアクティブユーザーは30~40%にとどまっています。Evans氏は、「週に一度しか使わないのであれば、まだその技術は『おばあちゃんでも使える』レベルには達していない」と指摘します。
テクノロジーの中心地であるシリコンバレーで、一日中Mac Studioのクラスターを動かしてAIを使っている人々と、たまに「役に立った」と感じてAIを使う一般ユーザーとの間には、依然として大きなギャップが存在します。多くの企業は、AIを特定のバックオフィス業務の自動化など、ユーザーがツールの使い方を考える必要がない「ポイントソリューション」として活用しています。例えば、コモディティ企業がキャッシュフロー予測の精度向上にLLMを使うといった事例です。これは、ChatGPTに「今週の会議の要約をしてくれ」と尋ねるのとは大きく異なるアプローチであり、AIが具体的なビジネス課題を解決する手段として導入され始めていることを示唆しています。
基盤モデルのコモディティ化論:歴史の教訓とAI市場への示唆
Benedict Evans氏のAIに関する最も挑発的な、そして重要な洞察の一つは、「基盤モデルはコモディティ化する可能性がある」という仮説です。彼はこの主張を裏付けるために、過去のプラットフォームシフトの歴史から具体的なアナロジーを導き出します。
モバイルデータ産業の教訓:インフラ投資と価値の移動
Evans氏は、現在のAI市場の状況を、2000年代後半から2010年代初頭のモバイルデータ市場と比較します。当時、iPhoneの登場と3Gネットワークの普及により、モバイルデータトラフィックは爆発的に増加しました。しかし、AT&Tがフラットレートデータプランを提供した結果、ユーザーはYouTubeを視聴し始め、ネットワークは容量不足に陥り、高額なデータ請求の問題が発生しました。これは、現在のAIモデルにおけるトークン使用量の「予測不能な高額請求」と酷似しています。
この混乱を経て、モバイルネットワーク事業者は、コストカーブとインフラの価格体系、そしてユーザーの認識する価値を整合させるために、データ上限付きプランやフェアユースポリシー、速度制限などを導入しました。それ以来、モバイルデータトラフィックは1,500倍から2,000倍にも増加しましたが、モバイルネットワーク事業者全体の収益は約1兆ドル、設備投資は年間2,000億ドルにものぼるにもかかわらず、彼らの株価は20年間横ばいでした。そして、本当に「クールなもの」はすべて、彼らが構築したインフラの上に、他の企業によって築かれました。彼らはインフラストラクチャを提供したものの、その上で生まれる価値の多くを捉えきれなかったのです。Evans氏は、かつて彼が働いていた電話会社が銀行ライセンスを取得し、「モバイルバンキング」を自社で展開しようとしていた例を挙げ、それが今となっては「完全に狂気の沙汰」に見えることを指摘します。
この教訓は、LLMにとって極めて重要です。基盤モデルプロバイダーが、その驚異的に洗練され、非常に高価なグローバルインフラを構築しているにもかかわらず、すべての価値がスタックの上位に移動し、彼らがそこから利益を得られない可能性はないか?という根本的な問いを突きつけます。
コモディティ化の根拠:持続的な差別化の難しさ
Evans氏は、基盤モデルがコモディティ化するであろうとする複数の理由を提示します。
- 持続的な差別化の難しさ: 基盤モデル間で、持続的に他社より優位に立てるような根本的な差別化要素を構築するのは困難に見えます。InstagramやYouTube、Google検索が持つような「ネットワーク効果」や、特定のレバーを引いて戦略的な優位性を確立する「ポジション」が、LLMには見当たらないとEvans氏は指摘します。モデルによって得意分野や特性が異なることはあっても、それが決定的な競争優位性につながるとは限りません。
- チャットボットUIの限界: 現在のチャットボットUIは「奇妙で限定的なV1 UI」であり、特定のタスクやユーザーには非常に効果的ですが、ほとんどの用途では、適切なツール、データ、設定、制御、ユーザーインターフェース、そして深い専門知識が必要となります。モデルラボがこれらすべての要素を自社で構築することはできません。MicrosoftやAppleがすべてのWindowsアプリやiPhoneアプリを作れないのと同じ論理です。
- 顧客の意識: 最終的な顧客は、基盤モデルがどのクラウドサービス上で動いているか、あるいはどのLLMを使っているかを意識しません。AWSを標準化した企業が、その上で動くSaaS製品がどのクラウドを利用しているかを知らないのと同じように、基盤モデルは抽象化され、利用企業の問題ではなくなります。これは、基盤モデルがハイパースケーラー(クラウドプロバイダー)のような「差別化されたコモディティ」になる可能性を示唆しています。
- 半導体産業との類似: 各世代で開発コストが劇的に上昇し、プレイヤーが少数に集約されるという点で、半導体産業との類似点も指摘されます。しかし、少数のプレイヤーによる寡占状態になったとしても、価格競争が起きないとは限りません。
供給過剰と価格均衡への移行
Evans氏は、現在の市場が「需要と供給、価格、能力の極度の不均衡」にあると強調します。今はモデルが生成できるトークンがすべて売れるため、ROI(投資収益率)に基づいて価格設定が可能です。しかし、今後数年間で1兆ドルから2兆ドルの巨額な設備投資が行われ、モデルの効率は毎年100倍、200倍と向上し、新しいモデルが次々と登場します。このような状況下で、基盤モデル企業が価格決定力を持ち続ける理由はあるのでしょうか?同じチップを使い、同じような機能を提供するモデルが複数存在する市場で、モデル企業がなぜ価格競争に巻き込まれないと言えるでしょうか。
彼は、この状況が「初年度の経済学の学生が話すような会話」だと言います。モバイルデータ需要が無限に増大しても、最終的には価格均衡が訪れ、激しい価格競争が起こったように、AIのトークン需要が無限であっても、異なる価格均衡が訪れる可能性は十分にあります。Googleのような広告ビジネスを持つ企業は、OpenAIとは異なる価格戦略を持つことも考えられます。
現在の市場状況は「一時的なもの」であり、極度の供給不足と高価格は、大規模な設備投資と市場の調整によって、やがて変化する運命にあるとEvans氏は断言します。
AIの未来:未解明な問いと新たな価値創造の領域
現在のAIの爆発的進化は、多くの未解明な問いを私たちに突きつけています。Benedict Evans氏は、AIの未来を考える上で、技術そのものだけでなく、それが社会や産業にどう浸透し、新しい価値を創造するのかという幅広い視点を提供します。
モデルの進化とエッジAIの台頭
まず、基盤モデルはどこまで進化し続けるのかという問いがあります。より安価で高速、高性能なモデルは今後も登場し続けるでしょう。また、高価で巨大なクラウドモデルだけでなく、オンデバイスで動作する小型のモデルや、オープンソースモデルがいつ、どのように普及するのかも重要な論点です。Appleがデバイス上でのAI活用に注力しているように、コンピューティングコストがユーザーにとって「無料」となるエッジデバイス上でのAI処理は、開発者にとって大きな魅力を持ちます。
業界特化型AIが変革するプロフェッショナルサービス
AIが既存の産業に与える影響は計り知れません。特に、プロフェッショナルサービス(法律事務所、コンサルティング、投資銀行など)は大きな変革期を迎えるでしょう。これらの業界では伝統的にピラミッド型の組織構造があり、下層の人々が担っていた多くのタスクがAIによって自動化される可能性があります。
しかし、この変化の具体的な内容は、その業界の専門家でなければ予測できません。Evans氏は、Netflixが成功を収めたのは、サンフランシスコのテクノロジーの問いではなく、「どんな番組を作るか」「才能にいくら払うか」といったロサンゼルスのメディア業界の問いに答えたからだと指摘します。同様に、AIが法律業界に何をもたらすかは、弁護士や法律事務所の運営に詳しい人でなければ分からないのです。クライアントが本当に何に価値を置いているのか、組織内部の「暗黙知」がどのように再構成されるのか、といった問いは、AI技術そのものよりも、各業界の深い理解を要する問題となります。
自動化がもたらすビジネスの再構築:破壊と創造
AIによる自動化は、ビジネスモデルに根本的な変化をもたらします。Evans氏は、自動化がもたらす変化をいくつかの観点から分析します。
- 価格弾力性: 何かをより安価にできるようになると、人々は同じ量をより安い費用で行うのか、それとも同じ費用でより多くのことを行うのか、あるいはより多くのことをより多くの費用で行うのか、という選択肢が生まれます。安価になったことで、以前はコストが高すぎてできなかったことが可能になるかもしれません。
- 参入障壁の除去: かつて新聞社にとっての印刷機のように、高価な設備投資が参入障壁となっていたものが、AIによってその障壁が取り払われる可能性があります。
- 不可能の実現: 蒸気機関が列車を可能にしたように、AIは「どれだけ多くの馬を買っても実現できなかったこと」を可能にするでしょう。YouTubeやSpotifyが、かつては想像できなかった音楽・映像体験を提供したように、AIは全く新しいサービスやビジネスモデルを生み出す可能性があります。
広告、Eコマース、マーケティングの未来
Evans氏が特に興味深いと考える分野の一つが、広告、Eコマース、ブランド、マーケティングです。Google、Meta、Amazonといった企業は、これまで商品の「スコープ」やメタデータ、購入履歴の統計的な関連性に基づいて商品を推薦してきましたが、本当にその商品が何であるか、顧客がなぜそれを購入するのかを深く理解していたわけではありませんでした(「トイレの便座カバーを買い集めていないのに、なぜまた便座カバーを推薦するのか?」というジョークのように)。
しかし、LLMの登場により、AIは原理的に、商品が何であり、なぜ人々がそれを購入するのか、そして他にどんなものを購入するのかについて、より深く、異なるレベルで統計的に相関する理解を持つことができるようになります。例えば、Instagramの投稿にあるコートを識別し、似たものを価格帯別に複数提案し、それぞれの長所と短所を教えてくれるような機能は、数年前にはSFでしたが、今や実現可能なものになりつつあります。さらに進んで、ユーザーのInstagramの投稿を見て、ファッションのスタイルを大きく変えずに似合う冬のコートを提案する、といったパーソナライズされたサービスも現実味を帯びてきました。
これは、「古いことをもっとやる」という自動化の初期段階から、「新しいこと」を可能にする創造の段階へのシフトを意味します。企業は、顧客とのZoom通話記録、Salesforceのメールフロー、製品利用の分析データなどをAIに統合し、チャーン(顧客離反)率改善のための価格戦略を提案させるといった、多層的な抽象化レベルでの分析と意思決定が可能になるでしょう。
ソフトウェア開発の未来:増殖するソフトウェアと「SASアポカリプス」
AIはソフトウェア開発そのものにも大きな影響を与えます。ソフトウェアの構築はこれまで以上に安価かつ迅速になり、これは競争の激化を意味します。現在のエンタープライズソフトウェアは、SAPのような大規模水平システム、業界特化型垂直ソフトウェア、そしてExcelやメール、共有ファイルシステムのような「場当たり的な」スペースに分かれています。AIは、この混沌とした状況に新たな選択肢をもたらします。LLMがSalesforceの内部機能として組み込まれることもあれば、LLM自体が新しいツールを構築するために使われることもあるでしょう。
Evans氏は、「ソフトウェア会社は、他のソフトウェア会社が作った問題を解決するために存在する」というジョークを引用し、クラウドやWebがソフトウェアの数を劇的に増やしたように、AIも「より多くのソフトウェア」を生み出すと予測します。しかし、これは「SASアポカリプス」という懸念も引き起こします。投資家たちは、既存のSaaS企業のどれがAIによって淘汰されるか分からず、市場全体の評価に不確実性が生じています。どの企業が生き残り、どの企業が苦境に陥るのか、その答えはまだ見えません。
「暗黙知」の壁と新しいインターフェース
AIによる自動化の難しい領域の一つは、組織内に存在する「暗黙知」です。明文化されておらず、誰もが説明できないような業務プロセスや意思決定は、AIに学習させるのが極めて困難です。この暗黙知を解き明かし、新しいワークフローを設計するのが、戦略コンサルタントの重要な役割です。
将来的には、AIネイティブなソフトウェアや新しいインターフェース、AIエージェントが直接バックエンドをクエリするような、フロントエンドを持たないシステムレコードソフトウェアなどが登場する可能性も指摘されています。しかし、これらのアイデアがどれほど新しいものなのか、あるいは過去のAPI中心の議論の焼き直しに過ぎないのか、という疑問も投げかけられます。重要なのは、「自動化できないもの」や「人間が判断を下す必要があるもの」を見極めることです。
Evans氏は、AIが自動化するのは「タスク」であり、「仕事」そのものではないと説明します。会計士の仕事は50年前と今では行われるタスクが全く異なりますが、クライアントに提供する価値は本質的に同じです。AIは、「誰もがそうするであろう」という平均的な作業を非常に得意としますが、新しい問いに対する異なる答えや、人間ならではの独創的なアイデアを生み出すことは苦手です。
巨額投資の行方と持続可能性:過剰投資の限界
AIへの投資の熱狂は、その持続可能性に関して根本的な問いを投げかけます。GoogleのCEOが「過少投資のリスクは過剰投資のリスクよりも高い」と語るように、多くのテック企業がAIに巨額を投じています。しかし、その投資はどこまで続くのでしょうか?
設備投資の異常な規模
現在、Microsoft、Meta、Googleといった主要テック企業は、売上の50%以上を設備投資に充てるとされています。これは、資本集約型産業の代表とされる通信業界(売上の15~20%)をはるかに上回る水準です。Evans氏の計算によれば、主要4社(上記の3社にAmazonを加える場合も)の年間設備投資額は合計7,000億ドルに達し、これは石油・ガス産業の設備投資額(7,000億ドル~1兆ドル)に匹敵する規模です。
もちろん、7,000億ドルという数字は、グローバルインフラ全体のコストとして不可能ではないかもしれませんが、それが一企業の、あるいは数社のテック企業の年間投資額として持続可能であるかという問いは全く別物です。Evans氏は、「来年1兆5,000億ドルを費やすことはできないし、そのレベルの支出を長期間維持することもできない」と指摘します。
FOMO(Fear Of Missing Out)と短期的なモデル寿命のパラドックス
この巨額投資の背景には、ROIを追求するだけでなく、一種の「FOMO(Fear Of Missing Out)」があります。AIがコンピューティングの未来であるならば、主要テック企業は参加せざるを得ません。2000年代のMicrosoftや1990年代のIBM、そして2010年代のMetaがAppleに支配されたように、この波に乗らなければ自社の存在が危うくなるという危機感が、巨額投資を駆り立てています。
しかし、この投資には大きな課題があります。それは、基盤モデルの寿命が極めて短いことです。Evans氏は、一つのモデルが関連性を保つのは3~6ヶ月、あるいは6~9ヶ月程度だと指摘します。数十億ドルを投じて開発されたモデルが、わずか数ヶ月で陳腐化する可能性を秘めているのです。この「短い寿命」と「巨額の開発コスト」のアンバランスは、まだ解決されていない根本的な問題です。
トークン使用量の最適化と消費者余剰
現在のAI市場では、高価なモデルを無駄に使う「トークン浪費」の問題も指摘されています。モバイルデータ初期の高額請求のように、ROIを考慮しない無秩序な使用が見られます。しかし、やがては価格、使用量、そしてROIの間に整合性が求められるようになるでしょう。
ROIの測定は、AIの初期段階では困難です。多くの企業が感じるAIのメリットは、「より良い分析」「より良い顧客サポート」「生産性向上」といった、直接的な収益やコスト削減に結びつけにくいものです。新しい収益ラインを構築するよりも、既存業務の効率化の方が早く実現されるため、短期的なROIを算出するのは難しい状況です。
さらに、「消費者余剰(Consumer Surplus)」の概念も重要です。Excelの例で言えば、DCF(割引キャッシュフロー)分析に1週間かかっていたのが10秒でできるようになっても、それに対してより高い料金を請求できるわけではありません。むしろ、人々は50倍のDCF分析を行うようになるかもしれません。効率化によって得られる生産性向上は、競争によって相殺され、最終的には消費者や顧客の利益となることが多く、企業が直接的な利益として享受できるとは限りません。コンサルティング業界の例で言えば、分析に1週間かかっていたのが1日でできるようになっても、顧客に請求する料金は変わらず、むしろ5倍の分析を提供するようになるかもしれません。
基盤モデル企業への提言と未来への展望
Benedict Evans氏の洞察は、現在の基盤モデル企業にとって厳しい現実を突きつけるものです。しかし、それは同時に、未来の価値創造の方向性を示唆するものでもあります。
モデル企業への問い:「コモディティ化しない理由を説明せよ」
Evans氏の挑発的な問いかけは、「基盤モデルがコモディティ化しない理由を、論理的な連鎖で説明してほしい」というものです。彼の現状認識は、歴史的パターンと市場の力学から、モデルがコモディティ化する可能性が高いというものです。もしモデル企業がコモディティ化を回避できると考えるならば、そのための明確な戦略と差別化要因を示す必要があります。
モバイル産業の例は、インフラに巨額を投じた企業が必ずしも最大の利益を享受できるわけではないことを示しています。Google、Meta、Amazon、Microsoft、Appleといった企業が、モバイル通信産業全体よりもはるかに大きな利益を上げているのは、彼らがインフラの上に「クールなもの」を構築し、価値をスタックの上位で捉えたからです。
ソフトウェア開発以外の価値創造:AI普及の鍵
基盤モデル企業にとっての喫緊の課題は、「ソフトウェア開発以外で、人々が本当に使いたくなるような製品は何なのか?」という問いに答えることです。ソフトウェア業界の生産性向上は確かに大きなビジネスですが、それが唯一のビジネスであるべきではありません。AIが経済全体、社会全体に広がるためには、法律、金融、医療、教育、製造業など、あらゆる分野で具体的な価値を提供する製品が必要です。しかし、実際に「現実の会社」を経営している人々にとって、この新しい技術をどう活用すれば良いのか、その答えを見つけるのは容易ではありません。そのため、プライベートエクイティやコンサルティング会社がモデル企業と連携し、具体的なユースケースを発掘しようとする動きも出てきています。
なぜ、ほとんどの人がChatGPTを使っても、「今日やるべきこと」を見つけられないのでしょうか?それは、AIがまだ一般的な日常業務や特定の業界の深い課題に、使いやすい形で統合されていないためです。
AIの未来は「魔法」になる:そして当たり前へ
Evans氏は、未来のAIを、現在のスマートフォンが提供する体験に例えます。私たちが今、高解像度のビデオ通話を、Wi-Fiを通じてiPhoneからMacにストリーミングしていても、それが「魔法」であるとは感じず、「当然のように機能する」と思っています。しかし、20年前には、これは想像もできなかった技術でした。
AIもまた、同様の道を辿るでしょう。私たちは10年、15年、20年という時間をかけて、この根本的な技術変化を経験します。その過程で、多くの人々の仕事が変わり、新しいビジネスが生まれ、社会には歓迎される変化も、そうでない変化も訪れるでしょう。しかし最終的には、AIは私たちの生活や仕事の中に深く浸透し、「コンピューターが常にそうしてきた」かのように、その存在を意識しない「魔法」となるでしょう。
Benedict Evans氏の洞察は、現在のAIの熱狂に冷徹なリアリズムをもたらすと同時に、未来への具体的な指針を提供します。基盤モデルがコモディティ化する圧力を受けるのであれば、真の競争優位は、その上にいかに革新的で、各業界の深い課題を解決するアプリケーションやサービスを構築できるかにかかっています。AIの未来は、技術の進歩だけでなく、人間がその技術をどう活用し、どのような新しい価値を創造するかに委ねられているのです。